伊藤隆康 『R21-60』 モノタイプ作品  1960年制作  直筆サイン入り  1点もの  額装  【真作保証】  伊藤 隆康  東京藝術大学

伊藤隆康 『R21-60』 モノタイプ作品  1960年制作  直筆サイン入り  1点もの  額装  【真作保証】  伊藤 隆康  東京藝術大学 收藏

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*東京芸術大学 小磯良平教室で、高松次郎、中西夏之、工藤哲巳、篠原有司男、磯辺行久らと学び、
   50歳で亡くなった 伊藤隆康 の最初期のモノタイプ作品 『R21-60』 です。
   1960年制作 直筆サイン入り 1点もの 額装品 【真作保証】  万が一「真作」でなかった際には返品をお受け致します。
   1959年第3回シェル美術賞展で第1席を受賞し、若手芸術家のホープとして注目され、以後1960年代日本の前衛美術最前線を担う作家のひとりとなった
   伊藤隆康の直筆サイン入りモノタイプ作品です。伊藤隆康 最初期の直筆サイン入り平面作品は、大変稀少で 貴重です。
   平面から立体へ、絵画から環境へと、伊藤の関心は目まぐるしい変遷を遂げましたが、そこには抽象表現に対する揺るぎない実験精神が貫かれています。
   伊藤隆康の作品は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館、兵庫県立美術館ほかに収蔵されています。(ぜひ以下の経歴をご確認ください。)
*伊藤隆康ファンの皆様(美術館関係者の皆様)、作品を探されていた方、作品を気に入った方、ぜひこの機会にコレクションに加えてください。
   送料無料(レターパック)でお届けします。
 
・作家名:伊藤隆康 (いとうたかやす) 19341985
・作品名:『R21-60』 
・技法: ??
・シートサイズ:約26.0 cm×16.5 cm
・額装サイズ:約32 cm×約23 cm (前面:透明シート)
・サイン:直筆サインあり
・エディション:1点ものです
・制作年:1960
・コンディション:イメージ部分は概ね良好ですが、製作から60年以上経過しているためか、裏側に黄ばみが見られますこの影響で、イメージ部分の上両端に少し黄ばみが見られます。
 画像でご確認下さい。
 
伊藤隆康 (いとうたかやす) 19341985
<略歴>
1934年生兵庫県まれ。
東京藝術大学で小磯良平の教室に学ぶ。
同窓生に工藤哲己、高松次郎、中西夏之、篠原有司男、磯辺行久等がいた。
卒業後、東横百貨店宣伝部に入社、ディスプレイ・デザインを担当。
1959年第3回シェル美術賞展で第1席を受賞し、若手芸術家のホープとして注目され、以後1960年代日本の前衛美術最前線を担う作家のひとりとなる。
1961年丸善石油美術奨励賞展で佳作を受賞、国際青年美術家展などに出品。
この頃から、画面全体を石膏の半球体で埋め尽くす〈無限空間〉シリーズを制作。
画面から色彩とイメージを排除した脱絵画を目指し、その後、建築デザイン、環境デザインや映像作品も手掛け、多面的な領域で仕事を残す。
1978JCD(社団法人日本商環境設計家協会)の商空間デザイン賞を受賞。
手仕事の痕跡を排除したいわゆる発注芸術による光の彫刻やテクノロジー・アートへと向かう。
建築美術、モニュメントは、美術館、学校、文化センターなど関東を中心に多数設置された。
商業空間と芸術の融合を目指すプロデュース活動に意欲的に挑み、手がけた商業空間の代表作は六本木WAVE
1985 50歳で癌に倒れ、死去。
<作品収蔵美術館>
東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館、兵庫県立美術館ほか、各地の美術館に収蔵されている。
<主な出展歴>
1960年 個展(いとう画廊、東京)、翌年・翌々年連続開催。
1962年から〈無限空間〉シリーズを発表。第2回パリ青年ビエンナーレ(パリ・フランス)出品
1961年 14人の日本作家展(Osgood Gallery, ニューヨーク・USA
1963年 第15回読売アンデパンダン展(東京都美術館)
1964年 「現代美術の動向―絵画と彫塑」展(国立近代美術館京都分館)出品
1967年 第2回現代日本彫刻展(宇部市野外彫刻美術館、山口)
1968年 伊藤隆康展(Kiko Galleries, テキサス・USA
1969年 国際サイテック・アート―エレクトロ・マジカ ’69展(銀座ソニービル、東京)
1970年 万国博美術展(万国博美術館、大阪)
1971年 今日の100人展(兵庫県立近代美術館)
1975年 今日の空間展-インフォメーションとコミュニケーション(横浜市民ギャラリー)
1981年 「1960年代現代美術の転換期」展(東京国立近代美術館)出品
1984年 伊藤隆康展(南天子画廊、東京)
1986年 伊藤隆康展(渋谷区立松濤美術館)
2007年 2007年度コレクション展  伊藤隆康「絵画から環境へ」展(兵庫県立美術館)
(出典:京都国立近代美術館)
 
伊藤隆康 回顧展
本展は、渋谷区に在住され、昭和601985)年2月に50歳の若さでガンのために逝った伊藤隆康の回顧展である。
伊藤隆康は、昭和91934)年に兵庫県明石市に生まれ、昭和331958)年に東京藝術大学油絵学科(小磯良平教室)を卒業した。翌341959)年、第1回個展で、石膏の中に荒縄・木の枝などを埋め込み表面をアンフォルメ風に整形した作品を発表、その中より5点をシェル美術賞展に出品し、第一席を授けられた。昭和35年(1960)年には第1回ACC展で第二席、昭和36年(1961)年にはパリ青年ビエンナーレ展などに出品のほか、丸善石油美術奨励賞展で佳作賞を受けるなどして新人として輝かしいデビューを飾った。それとともに、36年の第3回個展でプラスチックの製氷皿で作った石膏の半球体を無数に並べた白一色の作品を発表した。「無限空間」シリーズである。従来の絵画的手法からの離脱の過程は、ここにおいて一つの頂点を迎える。昭和381963)年の個展ではプラスチックのジョウゴを壁面に無数にならべ、翌391964)年の個展では「無限空間」シリーズの土管を発表。個展終了とともに削減するこれらの作品は、作品の永遠性を否定した所からスタートしたものであり、従来の芸術思想からの離脱を示すものであった。これとともに、アルミ鋳物によるトゲの出たオブジェ、そして、昭和421967)年には「負のシリーズ」と「同時に存在するシリーズ」を発表する。これらは、工場機械による制作であり、個人の行為の根跡を残さないという方法論にたったものであり、発注芸術として、また、「負のシリーズ」はライト・アートとしても先駆的なものであった。昭和451970)年に万博美術館に出品して以後、建築美術や都市空間のデザインに活動の場を広げ、近年にはアルミによる無限空間、シルクスクリーンによる無限空間を発表し、あわせてビデオ・アートの分野において顕著な活躍を示し始めていた。伊藤の死はこうした新たな展開の時であり、惜しまれてならないものがあるといえよう。
本展では、伊藤の第1回個展出品作から最新のビデオ・アートまで38点と併せて、「土管」などの作品を写真展示することで、抽象表現に絶えることのない実験を繰り広げてきたその全貌を紹介できたことと考える。
(出典:松濤美術館 1985820日(火)~1985929日(日))
 
伊藤 隆康/Ito Takayasu
伊藤隆康(19341985)は、兵庫県明石市出身の造形作家です。
東京芸術大学美術学部油画科に在籍していた伊藤は、同期の高松次郎(19361998)や工藤哲巳(19351990)、中西夏之(19352016)らとともに、日本を代表する洋画家の小磯良平(19031988)のもとで学びました。1958年に同大学を卒業すると、東横百貨店宣伝部に入社し、ディスプレイ・デザインを担当します。仕事の傍らに行っていた創作活動では、当初から石膏などを用いた造形作品を手がけており、1959年に開催された第3回シェル美術賞展(現・Idemitsu Art Award)では第一席を受賞し、華々しいデビューを飾りました。このとき出品したのは、石膏のなかに荒縄や木の枝を埋めこみ、その表面をアンフォルメル風に成形した平面作品でした。
1960年には第2回パリ青年ビエンナーレ展に出品し、また同年にいとう画廊で開催した個展では、プラスチックの製氷皿で作った半球体の石膏で画面全体を埋めつくす、白一色の作品を発表しました。これが代表作「無限空間」シリーズの始まりであり、1963年にはプラスチックのじょうごを、翌年には土管を用いて同様の作品を制作し、画面から色彩やイメージをはぎ取る脱絵画的な作風を確立させていきました。その後、日本におけるライト・アートの先駆けとなる、蛍光灯を利用した「負の球」シリーズを生み出したほか、1970年に万国博美術展に出品して以降は、建築デザイン、環境デザイン、さらには映像作品などにも携わり、活動の場を広げていきます。なお、【負の球L-1】(1967年)は第2回現代日本彫刻展(宇部市野外彫刻美術館)で入選しており、立体造形においてもその実力が認められていたことが窺えます。1972年にスペースデザイン事務所サムシンクを設立してからは本格的に環境・空間デザインに着手し、1978年にはJCD(社団法人日本商環境設計家協会)の商空間デザイン賞特別賞を受賞します。こうした流れのなか、伊藤の芸術は個人の行為や手仕事の痕跡を排除したいわゆる「発注芸術」へと向かい、光の彫刻やテクノロジー・アートという形を成していきました。晩年も、アルミやシルクスクリーンによる「無限空間」やビデオ・アートの制作など旺盛な活動を展開しています。たとえば、1980年に開催された「まがいものの光景 現代美術のユーモア」(国立国際美術館)では、鋭いとげで触覚を逆なでするようなアルミのテーブルウェアという、日常的な素材を異化する作品で先鋭性の健在を示しました。
さらなる飛躍が期待されていたものの、その後肺がんを患い、1985年に50歳の若さで亡くなります。平面から立体へ、絵画から環境へと、伊藤の関心は目まぐるしい変遷を遂げましたが、そこには抽象表現に対する揺るぎない実験精神が、まっすぐ貫かれています。
(出典:新古美術なかお)
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