写真は、平成16年(2004)に、小学館から出版された週刊名城をゆく
シリーズ7号「彦根城」(3月16日号・定価560円)を流用してあるが、落札
後に発送するのは、平成27年に復刊出版された隔週刊号であることを最初
にお断りしておく! 表紙を少し変えて内容は、週刊も隔週刊もまったく全ペ
ージ同じである。ひと言、説明しておくと、週刊は50号以上出版されたが、隔
週刊はそのうちのよく売れた30号分にしぼって復刊された。ちなみに復刊さ
れなかった号は、現在、入手困難な分、古書店では高値となっている。
城の規模、縄張り、築城秘話、ゆかりの武将・各種人物伝などのさまざまな
内容は、貼付写真の具体的な目次の詳細から御想像して下さい。
彦根城というと、舟橋聖一の名作『花の生涯』の生涯』を思い出す。主
人公は、幕末に開国を推進し、敵対勢力を安政の大獄で大弾圧した大老・
井伊直弼である。井伊は、多くの時代小説では悪役が相場だ! しかし、
この『花の生涯』では、激動の時代に、あえて火中の栗を拾った雄渾な生
き方が筆に託されている・・・・。
井伊家の石高は、大坂の陣後35万石まで加増された。だが、桜田門外
の変で直弼が横死したことを咎められ10万石も減俸された。彦根藩は、
その恨みから、鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争まで、新政府側に与して
転戦したことは有名である。
さて、国宝・彦根城は、関ヶ原合戦後、〝徳川四天王〟の井伊直政に
与えられた。家康は、積年の恨みある石田三成の佐和山城の石垣や瓦
を運ばせ、わずか3年の突貫工事で完成した。光成の足跡は、完全に
抹殺されたと伝えられる。当時、絶対的権力者の太閤・豊臣秀吉は没し
たが、淀君と秀頼の豊臣家は健在で、いつまた第二の関ヶ原が勃発しか
ねない情勢であったので、総力を結集して築城していたことが想像できる。
彦根城は、平山城で城山の頂上に本丸を築き、山上西に西の丸、東に
鐘の丸を配し、東の麓に表御殿を設けた。平地から天守までは50メートル
もの高低差がある。内堀を隔てて、東と南西に二の丸があり、隣接地に家老
や重臣などの屋敷を配置した。さらに、佐和口(東)京橋口(南)船町口(西)
山崎口(北)があり、三の丸に通じる。
また、本丸、二の丸、三の丸と北側に、山崎曲輪により堅固にした。天守
閣の他に、西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられた。現在、国宝・天守閣、
西の丸三重櫓、天秤櫓、佐和口多聞櫓は、重要文化財に指定されている。
下屋敷庭園の玄宮園、珍しい遺構建築の太鼓門と御馬屋、内堀・中堀など
は、今なお江戸の風情を留めている。
本の状態は、個人所蔵の美本に近い「上」です。表紙に何度か読んだ時
の薄い折り目があります。ですので神経質な方は御遠慮して下さい。発送
はゆうパケット210円です。