昭和46年(1971)に、新人物往来社から出版された
『歴史研究』7月号、巻頭特集は当時、高知大学教授だ
った山本大の玉稿「長宗我部元親」である。
本書『歴史研究』が創刊さて2年目の超古い号で少部
数発行版なので今や入手困難を極めている。目次の詳
細は貼付写真を御覧下さい。
【長宗我部元親について】
織田・豊臣期の戦国部将・大名。初名は弥三郎。永禄
3年(1560)家督を継承。岡豊城を根拠に有力国人領主
の信任を得て領地を拡大。元亀元年(1570)には土佐6
郡を制圧。その5年後には居城を大津城に移し、土佐一
国の統一した。以後、阿波の三好、伊予の西園寺・宇都
宮、讃岐の香川・羽床などの諸氏を下し四国併合した。
織田信長の先鋒軍を阿波へ迎えるが、勃発した本能寺
の変により危機を脱した。以後、秀吉が光秀を倒し、織田
家中の争いを統一する開、8四国全土の基盤を磐石とした。
しかし、秀吉が大軍を率いた四国征伐にはあえなく降伏し
た。土佐一国7万8千石を安堵された。翌年、太閤の命に
より九州に出陣。豊後戸次川の戦で長男信親を失う。
侍従土佐守羽柴の姓を受ける。さらに一国惣検地を始
め、大高坂城に移す。四男盛親を後嗣と定めた後に小田
原北条攻めに出陣,帰国後浦戸に移城。文禄・慶長の役
に従軍し、武功によ従四位下少将に任ぜられる。その間
サン・フェリペ号事件を処理し,慶長元年(1596)遺言と
いうべき家訓『長宗我部元親百箇条』を定めた上で伏
見で死去した。
【本の状態と発送に関して】
今から53年も前の本なので、経年の薄汚れや小角折
れなどが見受けられる。本文ページは紙ヤケはあるもの
の読むのには、まったく差し支えない。全体的には古書
「並」レべルだが、今や入手困難な激レアの創刊当時の
号である。発送はゆうパケットかネコポスでよろしけれ
ば、当方負担します。