約20.3x14x1.8cm
函入 金箔押し布張り上製本
※絶版
高野山大学において五日間、平成九年度高野山大学公開講座の講師として、
立川武蔵が行った「マンダラとは何か」公開講座の、講義テープを書き起こして書籍化したもの。
著者の立川武蔵氏は、『中論の思想』法蔵館、『マンダラ』学習研究社、『はじめてのインド哲学』・ 『日本仏教の思想』の著者で知られる、国立民族学博物館名誉教授・仏教・インド哲学宗教学者。
仏像、仏教絵画、密教美術、密教画などの鑑賞、曼荼羅理解を深めるためにも、大変貴重な資料本です。
【序文】
公開講座も第十四回を数えるに至った。最近では、大学の内外から、それぞれ一人ずつ講師を依頼する方針をとっている。
立川武蔵先生を講師に依頼したのは、本学の森雅秀講師の出張報告書に目を通すごとに、立川先生を中心とする人達のマンダラ研究と成果、特にその研究方法に興味を抱いたことと、松長有慶教授が、 マンダラ研究の流れが立川先生の方に移ってしまっているという嘆きを聞いたのが理由である。
マンダラの研究について、もとより私は門外漢であるが、職業所関心だけはもっていた。はじめて高野山に登って来た時、霊宝館で目にしたのは通称平清盛の血マンダラ(重文)であった。中学二年生の副読本平家物語(大塔建立)の世界が眼前に圧倒的な迫力で存在していた。真偽はともかく、父子二代にわたって大塔建立奉行を勤めた平清盛が、保元元年四月、落慶供養の後、奥の院で、二股の鹿杖を持った白眉の老僧――実は弘法大師の化身――に会って感激し、金堂にマンダラを奉納した。
西のマンダラ(金剛界)は絵仏師常明が書き、東のマンダラ(胎蔵)は清盛の自筆で、しかも「八葉の中尊の宝冠をば、わが首(かうべ)の血を出いて、書かれけるとぞ聞えし」という伝承をもつ。立川先生によると血は非バラモン的非日本的らしいが、この気魄こそ平清盛の本性を示すものであろう。 しかし、平清盛はマンダラに何を祈ったかは明らかにされていない。恐らく、マンダラについて弘法大師以来の、「四恩の為に、発魂の抜翊、尊霊・先慈の奉翊」という言葉に代表されるように、 死者の菩提を祈るという日本的祖霊信仰一般の範疇を出なかったものと考えられる。
こうしたマンダラ供的利用以外に、マンダラには本来観想(法)の本尊としての使命がある。マンダラを本尊とする施主相手の御祈の場合は唱導的立場が優先するが、観法の場合は黙して語らぬのが普通である。この意味からすればマンダラの本質的な利用資料は無いのがあたりまえかもしれない。
立川先生はそのマンダラの本質に種々の方面から肉迫を試みられている。弘法大師の優婆塞的修行や観法が、出家後の弘法大師の宗教活動の原動力となったことを鑑みても、更に研鑽精進されて、その到達点を開陳される日を期待し、御多忙の中、快く講師をお引き受け頂いたことに感謝の意を表して序文といたします。
平成十年六月二十一日
和多秀乘 高野山大学学長
【目次】
序文
第一章「花マンダラ」と日本人
インドの時代区分
ヴェーダ聖典
密教の歌チャルヤーギーティ
マンダラの使用法
日本のマンダラ
第二章 密教の時代背景
「マンダラ」の意味
「タントラ」の意味
「タントリズム」の意味
密教(タントリズム)とヒンドゥー教
山岳宗教と空海
第三章 聖なるものと俗なるもの
宗教の三つの型
不気味で非日常的な「聖なるもの」
個人的宗教行為と集団的宗教行為
葬儀の機能
「聖なるもの」のシンボリズム
第四章 マンダラと護摩
古代インドの護摩
チベット、ネパール、日本の護摩
供養法(プージャー)
リンガと仏塔
トーラナ(鳥居)
第五章 浄なるものと不浄なるもの
金剛乗とは何か
リンガと仏塔
マンダラと宇宙
第六章 宇宙船としてのマンダラ
マンダラとしての身体
マンダラの仏たち
マンダラ瞑想とシャーマニズム
第七章 密教の世界観
「諸法は実相なり」
密教の基礎としての空思想
チベットの「死者の書」
ヒンドゥー教と神道
第八章 マンダラの神々
密教の仏たち
菩薩と女神
マンダラとヨーガ原人
宇宙卵と仏塔
「聖なるもの」のすがた
第九章 マンダラという生命体
あとがき
聖化された世界・マンダラ
マンダラを観想する行法
マンダラの中心と周縁
完結せるエネルギー体
あとがき
使用テキスト: 『マンダラ』神々の降り立つ超常世界 立川武蔵・著 学習研究社
【あとがき】
高野山を訪れる度にいつも思う。どのようにして空海は深山に水の豊富なこの高台を見つけたのだろうか、と。難波から高野の山に向かう電車の窓から見ているだけでも「山の中に深く入る」という印象を受ける。唐に渡る前に空海がこの場を見つけていたことに驚くばかりだ。
水が豊かで、巨木がそびえる静かな霊場高野山が今も現実に存在することは、空海の生命が生き残っている証しだ。そんな霊場において五日間、平成九年度高野山大学公開講座の講師として「マンダラとは何か」の題のもとで話しをする機会を得た。この貴重な機会を与えられたことにまず感謝したい。
講座が終った直後、学長の和多秀秦先生が「講義テープを書き起こして本にしたい」とおっしゃった。わたしは少なからずとまどった。というのは、本にするなどとは夢にも思わず、自由にしゃべってしまったからだ。黒板に図を書いて説明した部分や、スクリーンのイメージを指示棒で説明した箇所などが多かった。もっとも、もしも講義をする前に「本にするかもしれない」と聞いておれば、黒板もあまり使わず、話し方も不自由なものとなっていただろう。そういう意味でわたしは「自由に」 話しをすることができたかもしれない。「知らぬが仏」とはこういうことかとも思った。
図を使って気ままに話した記録を本にしたこともあって、編集の労をとっていただいた高野山大学文学部教務課の皆さん、さらにはタイプ・セッティングおよび印刷を受け持っていただいた正美社印刷さんには、多大の御迷惑をおかけすることになってしまった。ここにお詫びするとともに厚く御礼申しあげたい。
最後に、高野山という場においてマンダラについて語る機会を与えられたことに重ねて御礼申しあげる次第である。この記録がマンダラ理解のために少しでも役に立つことを祈るばかりである。
【著者について】刊行当時の情報です
立川武蔵 (たちかわ むさし)
平成元年4月名古屋大学文学部(印度哲学) 教授を経て、平成4年4月より国立民族学博物館教授となり現在に至る。
昭和50年6月米国ハーバード大学大学院修了(Ph.D取得: The Structure of the World in Udayana's Realism)。昭和60年2月 「中論の思想」により博士号取得 (名古屋大学)。平成9年5月中日文化賞受賞。
著書に『中論の思想』法蔵館、『マンダラ」学習研究社、「はじめてのインド哲学」・ 『日本仏教の思想』講談社現代新書など多数。1942年名古屋市生まれ。