アメリカ海軍 プラモデル アリゾナ Revell Pacific Fleet Battleship Memorial to the Tragedy of Pearl Harbor USS ARIZONA
必ず説明文を、●●●の箇所までは、お読み下さい。
2025年3月1日頃より、500円スタートします!!
ウォッチリストにいれてそれまでお待ちください!!
この商品の他に、全て、軍艦・艦船等の年代物プラモデルを80品程出品します。未組立多数
早稲田大学卒業後、社会科教師をしていた父が30~50年前に集めたものです。アメリカに買い付けに行ったレアな物もあります。(どれかは不明)
高齢になり視力も下がった為、自分での制作を断念しました。
価値のわかる方へお譲りをしたいです。
日本・アメリカ・フランス・中国各種あります。(日本とアメリカが多い)
高値に設定してありますが、それで良い方はご購入ください。全て出品後しばらくしてから、一斉に値下げ予定です。(500円スタート等予定)
私のプロフィール出品リストより、他の出品物をチェックしていってください。多忙の為、1日に数点づつの出品となる事をご容赦下さい。
現在価格で構わない方は入札お願いします。(落札後発送いたします)
待たれる方は、ウォッチリスト登録してお待ち下さい。(値下げされたら通知される設定をおすすめします)
複数落札いただいた場合、可能な限り同梱いたします。落札後に承ります。必ず落札後の取引後、必ずその事を連絡ください。特に記入なければそのまま発送いたします。
長年保管品です。撮影の為に開封した物、最初から開封済の物有ります。ノークレームノーリターンです。
申し訳ありませんが物置に埃をかぶって置いていたため、外箱の痛みひどい物もあります。(自分で価値を理解し買ったのに保管には興味なかったようで・・・)
中袋未開封品は多いです。父も細かい事等は自信が無いそうで、現状は写真にて確認下さい。
また、私がプラモデルとしての知識ゼロの為、専門的な事のご質問はお答えできかねます。
尚、発送は慎重に行わせていただきますが、万が一の運搬中の破損などは責任を負いかねます。
写真を見て、説明に納得していただき、30~50年前のレア物を製作する事への意義を見出せる方、ぜひいかがでしょうか。(万が一、中身の一部が欠品等も私ではわからないです
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ここから下は、参考にウィキペディア引用しています。ご興味のある方お読みください。レア 年代物 希少 骨董 マニア プラモデル お宝
アリゾナ (USS Arizona, BB-39) は、アメリカ海軍の戦艦。ペンシルベニア級戦艦の2番艦。艦名はアリゾナ州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目である。
1941年12月7日の真珠湾攻撃で九七式艦上攻撃機が投下した800kg爆弾が命中、艦前部の火薬庫が誘爆して爆沈した。1,177名の将兵が戦死した[注釈 2]。他の沈没艦はサルベージされたが、本艦は断念された。現在も湾の底に沈没状態で静態保存され、船体上にアリゾナ・メモリアルがある[3]。
艦歴
戦艦「アリゾナ」(1931年)
1913年3月4日にアメリカ議会は超弩級戦艦にして標準型戦艦であるペンシルベニア級戦艦2番艦の建造を認可した。「アリゾナ」は1914年3月16日にブルックリン海軍工廠で起工し、1915年6月19日にアリゾナ州プレスコットの名誉市民であるW・W・ロスの娘のエスター・ロスによって命名・進水。1916年10月17日に初代艦長ジョン・ドナルド・マクドナルド大佐の指揮下に就役した。
1916年11月16日にニューヨークを出航した「アリゾナ」はバージニア岬とニューポートで整調訓練を行い、その後グアンタナモ湾に向かった。12月16日にノーフォークに向かい、タンジール・サウンドで砲撃及び水雷防御訓練を行った。1916年のクリスマス前日にブルックリン海軍工廠に帰港し、整調後のオーバーホールを行った。1917年4月3日にオーバーホールが完了。翌日ノーフォークに到着し、第8戦艦部隊に合流した。
近代化改修
1929年5月から、ノーフォーク海軍造船所で近代化改修を開始。砲門の交換・改良や甲板装甲の追加、カタパルトの改良、主機交換、浸水対策などが施された。
真珠湾攻撃
真珠湾攻撃開始時、所在艦艇配置図。
大爆発を起こした「アリゾナ」。同艦は真珠湾の艦艇群の中でも、もっとも被害が大きかった。[4]
空襲後の戦艦横丁。「アリゾナ」は着底して重油が流出し[5]、空襲時に側にいた「ヴェスタル」と「ネバダ」は移動している。
1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)、日本海軍の南雲機動部隊から発進した艦上機(総指揮官淵田美津雄中佐、赤城飛行隊長)により真珠湾攻撃が行われた[6]。太平洋艦隊の主力艦はフォード島に二列になって繋留されており[7]、その様子は「戦艦通り、戦艦桟橋、戦艦横丁」[8](Battleship Row)などと呼ばれていた。「アリゾナ」の前方には戦艦「テネシー」と「ウェストバージニア」、左舷側には工作艦「ヴェスタル」、後方には戦艦「ネバダ」が停泊していた[9]。
「アリゾナ」において空襲警報は7時55分頃に発令され、艦は直ちに総員配置となった。戦艦列の外側は九七式艦上攻撃機の魚雷攻撃に遭い、内側(フォード島側)の戦艦は九七式艦攻の水平爆撃に晒された[10]。水平爆撃隊が投下したのは、長門型戦艦の主砲弾を改造した九九式八〇番五号爆弾である。第一次攻撃隊の水平爆撃隊は、第一攻撃隊(赤城、淵田美津夫中佐:15機)、第二攻撃隊(加賀、橋口喬少佐:14機)、第三攻撃隊(蒼龍、阿部平次郎大尉:10機)、第四攻撃隊(飛龍、橘美正少佐:10機)の九七艦攻 49機であった[11]。
8時5分、800kg爆弾1発が四番主砲塔の左側の甲板に命中した[12]。隣の「ヴェスタル」にも800kg爆弾が命中し、2隻で火災が発生した[13]。
8時6分、一番砲塔と二番砲塔間の右舷側の甲板に800kg爆弾1発が命中し、弾薬庫が爆発、艦の前方が大破した[12]。司令官やフランクリン・ヴァン・ヴァルケンバーグ(英語版)艦長が戦死したので、生存者の中で最先任のフークァ(英語版)中佐が総員退去を命じた[13]。 「アリゾナ」の爆発は、甚大な影響を及ぼした。まず残骸や破片が、周辺の艦艇とフォード島に多数降り注いだ[13]。「アリゾナ」左舷側に繋留されていた「ヴェスタル」ではカッシン・ヤング艦長を始め一部の乗組員が爆風で海中に吹き飛ばされ、泳いで「ヴェスタル」に戻ってきた。同艦は曳船ホガ(英語版)の助けを借りて炎上する「アリゾナ」から離れたが、午前9時45分に沈没を避けるために座礁した[14]。第一次空襲では損害軽微だった「ネバダ」も、移動する際に海中からアリゾナ乗組員数名を救助している[14]。
後の専門家達は爆弾が装甲を貫通することは無かっただろうと推測している。その代わり、艦載機カタパルトに使用された黒色火薬にまず着火し、続いて砲弾用の無煙火薬に誘爆したと考えられた。1944年の BUSHIP 報告書では黒色火薬庫のハッチが可燃材料と共に開放されたままであったのではと示唆している。しかしながら「アリゾナ」の水平装甲はたった76ミリしかなく、250キロ - 500キロ爆弾でも容易に貫通できるとする意見もある。また本艦のカタパルトや水上機運用機材は、艦後部に集約されていた[12]。「アリゾナ」を破壊したのは、艦前部の爆発である。今日では水平爆撃で投下された爆弾によって艦前部の弾薬庫が誘爆したという見識が主流である。なお日本側の大本営発表では、航空爆撃と共に同時におこなわれた特殊潜航艇甲標的の魚雷攻撃が「アリゾナ型戦艦」の撃沈に関与したとする論調もあった[15][注釈 3]。