The Ⅸ International Chopin Piano Competition・Warsaw・1975
JOHN HENDRICKSON (Canada)
FRYDERYK CHOPIN
SONATA b-moll op. 35
ETIUDA cis-moll op. 10 nr 4
ETIUDA e-moll op. 25 nr 5
ETIUDA h-moll op. 25 nr 10
WALC As-dur op. 42
WARSAW PHILHARMONIC - HALL RECORDING
SX 1338 STEREO
MUZA POLSKIE NAGRANIA
1975年の第9回ショパン・コンクールにおいて第三ステージで姿を消した(第9位)カナダのピアニスト、ジョン・ヘンドリクソン(1956.4.11~ )の同コンクールでのライヴ録音である。同コンクールのクロニクル上の伝説的名演となった《葬送》ソナタ、そして難曲作品10-4他三つの練習曲及びワルツ集中随一の傑作グランド・ワルツ作品42が収録されている。
故佐藤泰一氏の名著(『ドキュメント ショパン・コンクール』春秋社2005年)には本選に進めなかったヘンドリクソンへの評価に関し激しい論争があったことを推察させる審査員や評論家の発言が数々引用されている。
ショパン研究家として名高いカチンスキは「第三ステージでの最高の演奏はカナダのヘンドリクソンの弾いた変ロ短調ソナタである。その演奏は真の創造物でありこの名作の知られざる秘密を解明したものだ。・・・何故ヘンドリクソンが本選に行けなかったのかとある審査員に問うたところ、彼はまだ未熟なピアニストで良い先生が必要だ、という答えが返ってきた。それなら、何故に未熟なツィメルマンが栄誉に輝き、未熟なヘンドリクソンが栄誉に達しえなかったのか?・・・とにかく、審査員の誰に聞いてもヘンドリクソンの才能に異議を唱える人はいなかったのだから(註:二人はともに史上最年少の18歳)」と述べ、大御所ジュラヴレフ教授も「ヘンドリクソンは良かった。彼の演奏があまりに現代的だという意見には賛成しかねる」と審査結果に異を唱えている。
ジェドシツキは「ヘンドリクソンは変ロ短調のソナタの葬送行進曲と終曲を驚異的なやり方で弾く。これで本選行きは当確かと思われた。・・・ヘンドリクソンとウォルフラムの落選には聴衆からのヤジが飛んだ。本選が開始され会場が暗くなると、ヘンドリクソンの名と審査員退散(!)が三唱され、多くの聴衆がブラヴォーと叫ぶ」と生々しく会場の騒動の情景を語っている。また審査員を務めていたマウツジンスキは「各予選を通してむらなく弾けたのはツィメルマンとヘンドリクソンのみだった」と語っている。マウツジンスキが彼の演奏を特に評価したのも、ヘンドリクソンによるこの《葬送》ソナタがマウツジンスキ初来日時の同曲のスケールの大きい圧倒的な演奏(ライヴ録音CD)を想い起させる点が多々あることからさもありなんと納得させられる。
実は同コンクールでヘンドリクソンは酷いハンディキャップを抱えて演奏していた。ワルシャワ・ショパン協会の監修の大著
『WYDAWNICTWO "ROMEGA": KRONIKA MIEDZYNARODOWYCH KONKURSOW PIANISTYCZNYCH IM. FRYDERYKA CHOPINA 1927 - 1995』に次のようなくだりがある。「カナダのヘンドリクソンは、足に複雑な捻挫をしてギプスを嵌めており、第二ステージからは杖をついてステージに登場した」。それでも彼の傑出した才能、実力は聴衆も審査員もその総勢の認めるところであり、ポーランド音楽芸術家協会は彼の”偉大な才能とショパン作品への独創的な解釈”を讃え批評部門賞を授けた。
当LPの盤面には全く瑕らしきものは見られずニア・ミントレヴェルである。念のため試聴するもクリック音は勿論のこと小さなティック音も聴かれなかった。またジャケット裏に記載の通り瀟洒な表ジャケットはT. Kemilewの作成による第九回コンクールの公式ポスターの一部で書込み破損滅失箇所等は皆無である。