Revell HEAVY CRUISER USS PITTSBURGH ピッツバーグ H-457 レア 年代物 希少 骨董 マニア プラモデル お宝 未組立 開封済
必ず説明文を、●●●の箇所までは、お読み下さい。
2025年3月1日頃より、500円スタートします!!
ウォッチリストにいれてそれまでお待ちください!!
この商品の他に、全て、軍艦・艦船等の年代物プラモデルを80品程出品します。
早稲田大学卒業後、社会科教師をしていた父が30~50年前に集めたものです。アメリカに買い付けに行ったレアな物もあります。(どれかは不明)
高齢になり視力も下がった為、自分での制作を断念しました。
価値のわかる方へお譲りをしたいです。
日本・アメリカ・フランス・中国各種あります。(日本とアメリカが多い)
高値に設定してありますが、それで良い方はご購入ください。全て出品後しばらくしてから、一斉に値下げ予定です。(500円スタート等予定)
私のプロフィール出品リストより、他の出品物をチェックしていってください。多忙の為、1日に数点づつの出品となる事をご容赦下さい。
現在価格で構わない方は入札お願いします。(落札後発送いたします)
待たれる方は、ウォッチリスト登録してお待ち下さい。(値下げされたら通知される設定をおすすめします)
複数落札いただいた場合、可能な限り同梱いたします。落札後に承ります。必ず落札後の取引後、必ずその事を連絡ください。特に記入なければそのまま発送いたします。
長年保管品です。撮影の為に開封した物、最初から開封済の物有ります。ノークレームノーリターンです。
申し訳ありませんが物置に埃をかぶって置いていたため、外箱の痛みひどい物もあります。(自分で価値を理解し買ったのに保管には興味なかったようで・・・)
中袋未開封品は多いです。父も細かい事等は自信が無いそうで、現状は写真にて確認下さい。
また、私がプラモデルとしての知識ゼロの為、専門的な事のご質問はお答えできかねます。
尚、発送は慎重に行わせていただきますが、万が一の運搬中の破損などは責任を負いかねます。
写真を見て、説明に納得していただき、30~50年前のレア物を製作する事への意義を見出せる方、ぜひいかがでしょうか。(万が一、中身の一部が欠品等も私ではわからないです
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ここから下は、参考にウィキペディア引用しています。ご興味のある方お読みください。レア 年代物 希少 骨董 マニア プラモデル お宝
ピッツバーグ (USS Pittsburgh, CA-72) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ボルチモア級重巡洋艦の5番艦。艦名はペンシルベニア州ピッツバーグに因む。その名を持つ艦としては3隻目。当初の艦名はオールバニ (Albany) と予定されていた。
艦歴
ピッツバーグは1943年2月3日にマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール社で起工し、1944年2月22日にコーネリアス・D・スカリー夫人(ピッツバーグ市長の妻)によって進水、1944年10月10日にボストン海軍工廠でジョン・E・ギングリッチ艦長の指揮下就役する。
ピッツバーグは東海岸沿いおよびカリブ海で訓練を行い、1945年1月13日にボストンを出航し太平洋での任務に向かう。パナマに寄港し、ハワイで最終の砲撃訓練を行った後、2月13日にウルシー環礁で第58任務部隊に合流、ピッツバーグは航空母艦レキシントン (USS Lexington, CV-16) を中心とする第58.2任務群に配属された。
配属後最初の任務は硫黄島攻撃で、上陸した部隊に対する支援砲撃を行った。その後2月下旬には東京及び南西諸島方面を空襲した空母部隊の直衛を務め、作戦完遂後補給のためにウルシー泊地に戻る。3月14日に再出撃、九州南部を空襲するフランクリン他の空母部隊の直衛につく。3月19日、特攻機の突入で大破したフランクリンを救援。落水者救助にあたり、その後フランクリンを曳航してウルシー泊地に帰還する。
3月末からは沖縄戦に参加し、引き続き空母部隊の護衛を務める。6月4日、沖縄南東の太平洋上で任務中だった第38任務部隊はコニー台風に遭遇。ピッツバーグは艦首部およそ104フィートが切断・脱落する損害を受ける。幸運なことに本艦ではこの台風での死傷者は発生しなかったものの、艦隊全体では死者6名、150機以上の航空機が使用不能となった。艦首を切断したピッツバーグは応急修理ののちわずか6ノットの低速でグアムに避退、さらに6月24日グアムからピュージェット・サウンド海軍工廠に向け出航した。7月16日に到着したがこの修理中に戦争は終結し、予備艦に指定された。
1951年、朝鮮戦争の勃発によって現役に復帰。パナマ運河・グアンタナモを経由してノーフォークに移り、第6艦隊に配備されて地中海に展開した。1953年と1954年にはインド洋に進出する演習も行っている。1954年7月29日、セントローレンス川で衝突事故を起こし喫水線より上に破口するが程なく修理は完了し任務に戻った。この修理の完了後第一次台湾海峡危機への対処のために第7艦隊に配属され、横須賀を母港とする。海峡危機が1955年2月の大陳島撤退作戦によって終結すると本土に戻り、1956年8月28日付で予備役艦に編入。ブレマートンで保管される。その後1973年に除籍され、翌年オレゴン州ポートランドで解体された。