芦田 均
(1887~1959)京都府生れの外交官、政治家。東京帝大卒業後、1912年に外務省に入り、外交官となる。
ロシアではロシア革命を、フランスではパリ講和会議を目にする。
1932年に退官し、立憲政友会公認で政界に入る。戦後、自由党から選出され幣原内閣で厚生大臣を。
1947年には自由党を離党して日本民主党を結成。直後の片山内閣で外務大臣・副総理に就任。
1948年3月、内閣総理大臣に就任するが、同年10月、昭和電工事件により総辞職、同12月、本人逮捕。
1955年、自由党と日本民主党とが合併して「自由民主党(自民党)」結成に参加。
1958年、昭和電工事件の無実確定。1959年、衆議院議員在籍のまま死去、71歳。
『芦田均日記』は1944年9月29日から1959年5月24日、6月20日の死の直前まで、
日本の戦前・戦後の動乱期を政治家として克明に描いた貴重な記録である。
書名:芦田均日記(1986年:岩波書店版):全7巻: /
第七巻 ◇ 合同以後の政局(二) ー日米安保へー 付・芦田均日記関連文書
著者:芦田 均
編纂:進藤榮一/下河辺元春
発行所:岩波書店
発行日:1992年3月4日 第2刷発行 (1986年11月28日 第1刷発行)
定価:5,000円
所収: 合同以後の政局(二) ー日米安保へー 付・芦田均日記関連文書 ◇
第七巻解説 ー最晩年の日々ー(進藤榮一)/ 付・芦田均日記関連文書 解題(進藤榮一)/ 凡例 /
<日記> : 昭和三十二(一九五七)年 ;; 十一月 十七日 ~ 十二月 三十一日 /
: 昭和三十三(一九五八)年 ;; 一月 元旦 ~ 十二月 三十一日 /
: 昭和三十四(一九五九)年 ;; 一月 元旦 ~ 五月 二十四日 /
〔付〕芦田均日記関連文書 ◇
Ⅰ、敗戦前後まで ; 一、第六十四議会演説(抜粋)~昭和八年一月二十三日 他全8件 /
Ⅱ、憲法制定関係 ; 一、憲法草案委員会 要領記(昭和二十一年七月一日 — 二十二日) 他全8件 /
Ⅲ、連合政権期関係 ; 一、メモ(一) 他全15件 /
Ⅳ、対日講和関係 ; (1)外務省条約局資料 *
一、平和条約の準備資料に関する件(昭和二十二年五月二十二日) 他全4件 /
(2)講和会議関係書類 *
五、アチェソン大使に政府の希望条項を手交
(昭和二十二年七月二十六日) 他全5件 /
(3)講和会議関係雑件 *
十、ティルトマン記者の芦田外相宛質問書と外相回答書
(昭和二十二年六月?) 他全6件 /
Ⅴ、国民民主党以後 ; 一、日本政治の動向、日米関係の将来に関する意見
(昭和二十四年四月二十九日) 他全10件 /
〇 註 / 編纂を終えるにあたって(下河辺元春)/ 謝辞(編者)/
参考:帯汚れ等。箱、小口・天・地、本文等に少汚れ・ヤケ・シミ等あり。菊判。P446。990g。≪古本購入≫
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★終活のため処分しております。