BAX: SYMPHONIC VARIATIONS FOR PIANO AND ORCHESTRA
JOYCE HATTO, Piano
GUILDFORD PHILHARMONIC ORCHESTRA conducted by VERNON HANDLEY
RCF. 001 STEREO
Recording: May 1970
A Revolution Records Recording
閨秀ジョイス・ハットー(Joyce Hatto)の名を本邦の音楽ファンに知らしめることになったのは、おそらく15年余も前のレコ芸掲載事《音源偽造!ジョイス・ハットー事件》によるものであろう。然るに左記《~事件》について全く存知しない仁もおられるかもしれないので、当LPの解題前に、ごく掻い摘んで次い記載しておく。
事の発端は2007年、米国のある好楽家が彼女が録れたリストの《超絶技巧練習曲》をパソコンに取り込んだところ、全く異なるピアニストの名が表示されたのである。その後、英グラモフォン誌他の調査結果に依れば、ジョイス・ハットーの録音として2003年以降発売された100を超えるCD録音が、有名、無名のピアニストが制作したCDを盗用したものであると断定されたのである。
盗用はソロ作品のみでなく数多くの協奏曲、アシュケナージのブラームス第2番、コラールのサンサーンス第2番、そしてブロンフマンのラフマニノフ第2&3番も含み。その後の更なる追跡調査で発売された総数約50枚!のCDについてほぼその盗用のソースの大部分が判明している。彼女の夫で英SAGAレーベル創立者として有名なバーリントン・クープ(William Barring-Coupe)の単独犯行なのか、ジョイス・ハットーも音源偽造によるCD制作販売を知っていたのか、彼女は事件が明るみになる前年の2006年に亡くなっており、真偽は不明のままである。
出品者の手許には彼女が1960年代初に録れたモーツァルトのピアノ協奏曲第20&23番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番そしてガーシュインのラプソディー・イン・ブルーなどがあるが、平素は殆ど聴くことはなかったが、そのなかではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏を英ペンギン・ガイドが「佳演であり、M.リンパニーの録音が無かりせば代用としての役割は果たす」と好意的に評していたが、その演奏を今、聴き直してみても、とてもM.リンパニーの新旧録音のいづれとも比較にならず同日の論ではない。
彼女が逝く前年に”INTERNATIONAL PIANO"(January/ February 2006)に掲載された77歳の彼女へのインタビュー記事(インタビューアーはピアノ評論家として世界的に名高いJeremy Nicholas)にはゼヴィエツキ、ハスキル、コルトーら巨匠の薫陶を受けた回想談、ガン発症により経験した永年の辛苦などが話題になっているが、出品者自身、よくぞ闘病生活を送りながらベートーヴェンの《ハンマークラヴィア》を始めゴドフスキーの《ショパンのエチュードに基づく練習曲集全曲》だのリストの《超絶技巧練習曲》を録れたものだとただ驚嘆するのみで、CD録音に疑義を抱くことは全く無かったのだが...(幸い一枚のCDを購うことは無かった)。
さて《~事件》についてはこのあたりで打止めとし、《真正》ジョイス・ハットーが行った記念碑的録音、『BAXの交響変奏曲』について、ライナーノーツ記載の録音経緯及び作品について記すことにしたい。
>>>
アイルランドの出自をもつアーノルド・バックスはW. B. イーツの初期の詩作”The Wanderings of Usheen”を読んだ際に『自分の内なるケルトが忽然と目覚めた』。彼は同世代の英国の作曲家のなかでは最も多彩な能力と輝かしい天賦の才を有し、彼のロマンチシズムは詩的夢想の秘境への道程を安易に辿ることは努めて忌避しやうとする高貴な精神性に端を発している。
この交響的変奏曲は、彼の内で長きに亘り育み熟成された最初の協奏曲作品である。全曲演奏に45分余を要し幅広い感情が充溢している。原譜の形での初演は1920年11月23日、プロムナード・コンサートにおいてヘンリー・ウッドの指揮、ハリエット・コーエンの独奏者で行われ好評を博すも、その長大さからその後、最初の変奏曲全部を削除したほか数多くのカットがなされた“短縮”版が制作され、その版でハリエット・コーエンは二つの大戦を挟んだ時期に頻繁に演奏した。ジョイス・ハットーのピアノとヴァーノン・ハンドレーの指揮による演奏は1970年5月2日にギルドフォード市民ホールで行われたが、これは1920年の初演以来、初めての完全版での公開演奏である。このLPはその演奏後、まもなく録音された歴史的名盤である。
まず懐旧的な主題が提示された後にバックスの人生経験を描写するロマンチックな主題が創出されるのだが、Heldenleben(英雄の生涯)などを連想させるやうなものではなく、作品の奥底に脈打つ彼の生涯のその時々の精神の表出である。六つの変奏曲を経た後、終結部で管弦楽の総奏で揚々と再現される。
まず優美なテーマがオーケストラで短く提示され、ホルンが軽やかに呼びかけ、その後ピアノが登場するが特別に華々しさも誇張的なそぶりを見せるわけでもない。三連音符のアルペジョに載せて静謐に入場したのちは徐々に力感を増してゆき「青春」と記された最初の変奏曲に至る(短縮版では削除)。
第二変奏曲は「夜想曲」というタイトルがついているが、バックスの魔法的な独特の色彩で暈された夢想のひとつであって、オーケストラの書法からは深遠な想像力とバックス独特の幻想に満ちた繊細さが強く感受される。この変奏曲はピアノのペダルと遠くに聴かれるドラムの柔らかな連打を背景にホルンの魔法を呼び起こす響きで終える。
第三変奏曲「闘争」は長大で力感が溢れる。鮮やかな音色の噴出が魔法を解きバックス風の繰返されるリズミックな音型がピアノパートに更なる主題の変形をもたらす。この箇所は最も直接的な協奏曲風のセクションである。オーケストラが上方に向かって盛上り全合奏で作品の前半部の終結部となり、ここで作品があたかも終えるかのやうに響く。とりわけレコードでは一面の終わりになるので余計にそのやうな印象を与える。
第四変奏曲は「寺院」と呼ばれる。バックスの特に彼の抒情的な小さい詩曲において、ドビュッシーが生存し作曲したということを想い起させる。打楽器やピアノのコーディングの此処かしこにオリエンタル風の響きを感じさせる偉大な美の断片である。
第五変奏曲は「スケルツォ(演奏)」と記されている。ここではタッチは軽く、リズムのエネルギーは次々に移っていく。全ての変奏曲の中でも最も長大で、深い情緒と幸福感を描写するかのやうな特徴的なリズムの並列が見られる。
次に第六変奏曲の前に「歓喜」と名付けられた間奏曲がくる。スケルツォ終結部でドラムが繰り返しの樂句を示し、これがオーケストラの和声に重なっていく妙技的なピアノ・ソロの間奏曲の礎となる。クライマックスにおいては暫し双方の役割が逆転する。
第六変奏曲「勝利」はコーダの一種と解釈される。ピアノのソロで始まり、あたかも過ぎ去った昔を追憶しているかのやうにピアノは暫くゆったりとして独白を続ける。そしてオーケストラが決然と晴れやかで勝ち誇るやうに総奏により主題そのものが何の前触れ
もなく現われ終局向かって盛り上がっていく。
この作品は次のやうなサブ・タイトルをいとも簡単につけることができるだろう、即ち『人生経験と音楽体験の諸相』これは決して間違った呼称となることはないだろう。
>>>
盤面はニア・ミントで殆ど使用された形跡は見られない。ジャケットも美麗である。