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BELLE EPOQUE, RETRO BOLIDE, Epokit
ジェラール・ダヒンデン(Gerard Dahinden 1935-2007)は模造大理石や木に絵を描く事を専門とする画家であった。彼はNOREVなどフランス製モデルカーのコレクションに情熱を持っており、1975年MINI AUTO CLUB に参加した。このクラブはパリのセバストポール通りにあるModelismeストアの地下にあった。このクラブのメンバーにはJean Marie Dubray(DUBRAY MODELS)、Dominique Esparcieux(ESDO)、Andre Marie Ruf(AMR)ら後に自らのブランドを立ち上げる錚々たるメンバーが集まっていた。
彼は1976年に’GERARD DAHINDEN’というモデルカー製造販売会社を設立した。その年、BELLE EPOQUEブランドとして最初に製造販売されたのはPanhard Dynamic 1935 (1/43 scale)だった。
彼は原型の制作から、レジン・パーツ、ホワイトメタル・パーツの成形・鋳造、完成品の組み立てなど、MRFホィールやエッチング・パーツ、デカールなど外注部品以外のものをほぼひとりで製作した。約20年間の間に65種類のモデルカーを製作した。車種はほとんどが戦前のPanhard、Renault、Voisin、Delage、Delahaye、Talbotで、戦後のものでも1950年代までのものだった(CD Panhard 1962、Peugeot 404 Record car、NSU等を除いて)。Peugeot 402 Darlmatは、あるクラブからの100台の注文のためにドミニク・エスパルシューとコラボレーションして同じ原型を使用して複数のバリエーションを用意した。それでESDOブランドにも同じモデルカーがあります。
最初はポリエステル樹脂で型を作り、同じ型で一日3台の割合で最大200個の鋳造品を生産したと語っている。10年後、真空ポンプを購入し、生産率を高めることができた。どのエポキットも500台以上は作らなかった。毎年、様々なモデルカーを約800台製作した。彼はこれらのことを仕事というよりも楽しい趣味とみなしていた。
彼は1994年、中国製のポールズ・モデル・アートや、Norev、Solidoなど大企業の復帰をみて引退を発表した。1995年、彼のブランドは閉じられましたが、彼のモデルカーの原型は友人たちのESDO、CCC、JPS、RAPID(Rod Ward/Modelauto)のブランドに分割されて引き継がれそれぞれのブランドで製作販売された。
彼はモデルカーについてはフランス車のファンであったが、実車ではホンダの歴史と独創性に魅了され、CRX coupeの所有者だった。
引退後は三つの趣味、コンピューター、ガーデニング、料理に勤しんだ。
残念なことに、2007年彼は亡くなりましたが、当時はアルチザン(匠/職人)によるモデルカーの市場は根本的に変化し、1975年に彼のブランド名を誕生させたベル・エポック時代はもはやなくなっていた。
(THE HISTORY OF RESIN TRANSPORT MODELING/DAVID WRIGHT より抜粋)