1枚の寸法 約25×32㎝×4枚=約120㎝
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【解説】
自在鉤に鍋。かつて農家の中央に切られていた囲炉裏の天井からぶら下がっていた。三角の部分を調節することで、鈎の高さを「自在」に移動させることができる。
【前書き】
此尻日に三度焼て天下平なりやかさるときは
民くるしむおほけなくも高き屋の御製?もこの
しりより出たり猥(みだり)にやくときは家ほろふ強て
焼されはましはりすくなし吉凶貧冨唯此尻にあり
【鍋尻訓歌】
中央の画の左側に
よきにによ
あしきににるな
なへて世の
ひとのこゝろは
自在かきなり
[良きに煮(似)よ。悪しきに煮(似)るな、なべ(「鍋」にかける)て世の、人の心は自在鉤なり]
の歌があり、これは老中松平定信の作と言われ、教訓的な「訓歌」とされる。
「にる」→「煮る」→「似る」
「なべ」→「鍋」→「なべ+て」→「並べて(一般に)」
【鍋尻(を焼く)】から思うこと。
これは私の思い過ごしかもしれないが、「鍋尻(を焼く)」には「夫婦となって世帯をもつ。」の意味があることを、調べていく中で知った。
歌の前書きに記される内容を「鍋尻を焼く」、つまり「夫婦となって世帯を持ち、細々と身の回りの世話を焼く」「訓歌」としてみると、夫婦の睦まじい生活のための心構えが見えてくる。
一つ目は「焼かざれば民苦しむ」とある。「世話をわかないような禁欲生活」を強いると、最も大事な夫婦の夜の営みもできず「民が苦しむ」と。
二つ目、「おほけなくも高き屋の御製?もこのしりより出たり」つまり、尊い歌を詠んだ御仁も、この「鍋尻→夫婦の営みから生まれた」と言うわけだ。
三つ目、どうも焼き方の「強弱」の極端な場合を言っているようで、
猥(みだり)にやくときは家ほろふ→夫婦の営みがあまりに過ぎると、その家は滅んでしまう。なんとなくわかる。
強て焼されはましはりすくなし→ご不沙汰が過ぎると、夫婦の中が希薄になる。なるほど!
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【内藤東甫】について。
内藤東補は、下記にあるように「横井也有と度々合作しており、也有の句が書かれた俳画において「東甫」の名を使ったことで広く知られることとなった。
他の、同じ「鍋尻訓歌」二幅には【画像6参照】には也有・東甫の署名がある。
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【出品したものについて】
ここに出品したものは、
右尾陽隱士内藤東甫翁画賛之冩
夷振亭明の屋鐘應冩
とあることから、東甫の「鍋尻訓歌画賛」の写本である。残念ながら、鐘應の素性はネットでは見つからなかった。
この図は部分的に変更があったようで、【画像4・5(裏面)参照】
①図の三角形の長辺が短辺の先端にあったのを白線で消し、内側に少しずらしてある。
②「たゝこのしりにあり」と読める文面に紙を貼り付けてある。前の行にすでに「吉凶貧富唯此尻にあり」と書いたのに気づかず、書いてから、しまったと思ったのだろうか。
おそらく、掛け軸のための下書きであろう。
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【内藤東甫】ウィキペディアに依る
江戸時代中期の尾張藩の藩士、画家。
享保13年(1728年)に生まれる。本名は正参(まさみつ)または正誠、通称は浅右衛門、号として閑水、朽庵などを使った。
内藤家は400石取りで代々尾張藩に仕えており、東甫も大御番などを務めた。書画や詩に通じており、画風は狩野典信に似るとされ、俳諧は伊藤木児に学んだ。
絵師としては横井也有(同じ尾張藩士)と度々合作しており、也有の句が書かれた俳画において「東甫」の名を使ったことで広く知られることとなった。
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【刊期等】不明
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。
※なお、落札頂いた商品は、郵送を基本としておりますので、土・日、休日・祝日の発送は致しておりません。あらかじめご承知おき下さい。