縦:約36㎜(枠含43㎜)
横:約35㎜(枠含42㎜)
作者:ジョヴァンニ・ノト
QR:カタログクオリティ+
ジョヴァンニ・ノトは1902年生まれのシェルカメオ作家です。
1985年にその人生に幕を降ろすまでの間に輝かしい経歴を残しており、カルティエやブルガリなど一流ブランドへのカメオの提供やイタリア王国国家からの依頼を受けて記念品のカメオの制作、リンドバーグの大西洋横断記念のカメオ、また晩年にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の婚姻祝の作品も手がけ、その他スペインはマドリード、フランスはパリ、アメリカはニューヨークと各地の美術館や博物館にも作品が所蔵されていることからも、彼の活動範囲の広さと支持の深さが伺えます。
イタリア王国が共和制に移行した直後には、王国期に宮廷彫刻師として仕えたフランチェスコ・アパを祖とする老舗工房ジョヴァンニ・アパで美術監督に就任しており、その経歴と実績は名実ともにイタリア政府お抱えの最後の宮廷彫刻師的存在であったと言えましょう。
また2度の世界大戦の間に職人が育たなかった20世紀前半もカメオ彫刻師でありつづけ、戦後にはジョヴァンニ・アパにて自身の技を広く教えることでいったん断絶したと言ってもいいカメオの伝統をつないだ功績は計り知れず、現代においてもトッレ・デル・グレコのカメオ彫刻師の間で「Professor(教授)」といえばノトの事を指すなど、彼無くしては現代にカメオはなかったといっても過言ではない存在となっております。
今回は20世紀半ばに絶大な人気を誇ったアメリカの女優、マリリン・モンローを描いた大変珍しい作品です。
作品年代はモンロー存命の人気絶頂期であった時期と同じ1950年代、ノト作としては第2次大戦の混乱を乗り越えて以前の作品よりもさらに彫りの精緻さと意匠の気品が増した時期であり、特に光輪と花を伴ったマリア像は当ギャラリーでも大変評価の高い作品群として知られております。
モンローとマリアというある意味で対極のモチーフが同時代に描かれたというのはなかなか興味深い事実ですが、これはこの時代にカメオの主な顧客となった国がアメリカであったこと、そしてそのアメリカの第2次大戦戦後からベトナム戦争の勃発と激化にいたるまでの束の間の平和という、激動の時代背景を表しているようです。
作品としては同時代のマリア同様にノトの技がよく光り、特に毛皮の外套に見える繊細な陰影と白色が地色に溶け込むような貝の濃淡からなされる表現は、ノト作としてはもちろんカメオ史においても20世紀前半までは見ることができなかったものでした。
これまでの時代において既に多くの活躍をしてきたノトでしたが、それ以上に誰もなしてこなかった表現や構図の確立およびモチーフの選定など、それ以前のカメオの常識を打ち破って新たなスタンダードを築き上げたことこそ現代に至るまで「教授」と呼び特別視され敬われる所以であり、本作はノトの作品史においてもそれが最初に表現されたもののひとつであることから、カメオ史においても時代の転換点を象徴する作品といえるでしょう。
貝は白色と淡い褐色のサルドニクス。
コルネリアンの材料となるマンボウガイはインド洋および太平洋の熱帯~亜熱帯に広く分布していることから供給が安定していた一方、サルドニクスとなるクチグロトウカムリは中米近海の固有種で産地が限られていたため、1910年頃から1960年頃までの半世紀にわたり流通が安定せず、その間のカメオのほとんどがコルネリアンのカメオでした。
それはノト作においても例外でなく、実際同時代のマリア像は全てコルネリアンに彫られており、サルドニクスの作品は確認されておりません。
本作は流通の安定した現代の基準から見れば色のいい貝とはいえないものの、この時代のサルドニクスの貴重さを鑑みれば十分特別な背景を持った作品であることが察せられます。
状態はよく、ヘアラインは向かって右の背景部に薄いものが2筋あるのみ。
白色層のヘアラインは確認できませんが、こぶの部位を用いたものですので若干の色斑や褐色の色混じりがあります。
フレームは800‰の銀を素地に金を巻いたバーメイル。
この時代のジョヴァンニ・アパ工房の上位作品によくみられる彫金フレームで、細かな装飾・造形は全て職人が鏨にて手仕事で施したものです。
既に金は大半が落ちており黒化した銀が古めかしい姿となっておりますがペンダント金具および風車式のブローチ金具はともに健在、ピンには多少曲がりがあるものの問題なく使用することができます。