ご覧いただきありがとうございます。こちらの商品はアルモデルのスイテ37000(スイテ38)キット (品番K1001)を以下の加工をし組み立て、特別職用車のマヤ2 (マヤ47 1)とした車両となります。
【加工点】
・車体色はジェイズ戦前客車色で塗装
・屋根とベンチレーターと明り取り窓はジェイズ暗い屋根グレー用灰色で塗装
・屋根張り出し部はねずみ色1号で塗装
・車番「マヤ2」、所属「東ヲク」など各種表記を転写済み
・非展望デッキ側の連結器はKATOカプラーAを使用
・台車のTR73にスポーク車輪を採用
・台車の首振りを改良し、カーブ追従性を改善
・特徴的な内装を再現
・最後尾用にテールレンズ有り、テールライト不灯
・屋根上の蓋(?)をAU14を改造して取り付け
・ツヤのある光沢仕上げ
【実車について】
実車は昭和5年に製造されたスイテ37002が種車となっています。
昭和6年に特急「燕」転用の為に区分室が設けられスイテ37030に形式変更され、昭和16年にスイテ47 1となって特急「燕」の廃止まで使われていました。
戦後、昭和21年にはCTS(民間輸送局)用の移動車両として抜擢され冷房化や区分室増設に厨房設置などの改造でマイテ47 1となった後に昭和25年に特別職用車マヤ47 1(車体表記はマヤ2)を経て昭和28年3月には外国人観光客貸切や貴賓客向けの特別営業車マイ47 1になり、同年6月にマイ98 1に形式が変更され昭和31年にオシ17に台枠を提供するまで使われていた車両です。
特別職用車は連合軍占領下でCTSが地方視察用の特別車両を要求したのが発端で、連合軍管轄の連合軍専用客車と異なり国鉄保有の車両として国鉄の総裁や地方鉄道局の視察にも利用出来る職用車として16両(17両?)が誕生しました。
殆どの特別職用車が密閉式展望室を有しているのに対してこのマヤ2のみが旧1等展望車を出自にしている関係で開放展望デッキ付きとなっています。また、特別職用車制度が出来る前までのスイテ471、マイテ471の時代には国鉄所有車の1等車ながらも連合軍用客車と同じ白帯を有し、車体中央の帯部にJ.G.R.(鉄道省: Japan Government Railwayの略)の表記がある貸出車特有の様相を呈していました。
マヤ2として使用されていた期間は2年程ですが、利用頻度はそこそこに高かったようで、特別職用車制度が終了した後も特別営業車として比較的長い期間活躍をしていました。
そんなマヤ2(マヤ47 1)ですが、職用車なだけはあってボディは帯の無いぶどう色1号単色ベタ塗りで華やかさからは離れています。定期急行列車への増結や単体のみ蒸気機関車で牽引するのも良いでしょう。
【発送について】
KATO1両用クリアケースに入れての発送となります。よろしくお願いします。