(まず余談ですが)セイント・フォーについて
デビューし最初の1年は順調でした。ファンも増え、ライブも盛り上がり、握手会等ではいつも長蛇の列。
しかし密かにトラブルの芽は育っていたのです。
始まりは3枚目のシングル「ハイッ!先生」。それまでの2曲とは明らかに路線の違う、いかにもアイドルっぽいキャピキャピした曲。
実はこの裏で、これまで通り派手なアクション路線で行きたい所属事務所と、正統派アイドル路線に転向したいレコード会社との思惑の違いが出てきたのです
それでもライブハウス等で精力的に活動を続けていたセイントフォー。彼女たちに残された活動の場はもうライブだけでした。レコード化の予定は立たないものの、ライブでは新曲も発表して頑張っていました。
その渦中の大事件。
一番人気の板谷祐三子が他事務所に引抜き。
当時高校3年生だった祐三子は、進学のため学業に専念したいと脱退を申し入れ、話し合いの結果、社長も他のメンバーも快く送り出しました。 これが86年春。そのわずか1,2ヶ月後に他の事務所からタレントとしてデビュー。これは非常にショッキングな出来事でした。
急遽、“セイントフォーの妹分”としてソロデビューする予定だったいわお潤(現・岩尾潤子=声優)をメンバーに。新生セイントフォーが誕生。
だが祐三子の抜けた穴は大きく、またレコードを出せない状況にも変わりはなく、人気は一気に下降線へ。
テレビにもほとんど出なくなってしまいました。
そしてついに解散宣言
86年 12月のライブの時、これまでの経緯を説明。
「私たち、解散したくてするんじゃないんです。ただ唄が好きで、ずっと唄っていたいだけだったのに・・・」との言葉に出ました。
大人のゴタゴタに対する抗議の意味の
解散なのだと言っていました。
ラストライブ「旅立ちコンサート」
87年1月18日に日仏会館。このコンサートにはいわお潤は出演せず、オリジナルメンバー3人のみで。
アンコールまでの34曲、一切MCなしでひたすら歌い続ける彼女たちと、声の限りに声援を送り、紙テープを投げ続けるファンたち。あんな気迫に満ちたライブは後にも先にもあれっきりです。
アンコールで初めて口を開いた3人。
「きっとみんなの前に帰ってくる。だって私たちの居場所はみんなの前しかないんだもん!」
そう言って舞台から消えていったセイントフォー。
そして約束通り、沙織は女優として、範子・幸恵は新ユニット「ピンクジャガー」として、再び戻ってくることになります・・・
以上、セイントフォー・ヒストリー(非常によく語られておりましたので、掲載させて頂きました。感謝致します。
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この映画はデビューし間もなく撮影された映画です。
その後のメンバーのご活躍は皆様のご承知の通り
ある意味、感慨深~い彼女達主演の作品です。
長文お付き合い下さり有難う御座いました。
宜しかったらお願いします!
商品の状態
・再生確認すみです (本編118分)
・ジャケは中古並程度です。
・盤面は中古並程度です
小~中スレ程度、中古なりに御座います。ご容赦下さい。
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