
明治一分銀 未使用+ Mjです。
安政一分銀の位付け完了。
1300枚ぐらい調査で少ないけど、これ以上はしんどいのでパス。
天保一分銀も同期間調査するので、天保一分銀と安政一分銀の客観的位付けがこれで完了する。
明治一分銀の確定も私が確定できたので、ここでクマモト勝利、浅井定量銀の完全敗北を宣言します。
浅井と定量銀レベルが何十人いても私1人にはかなわなかったということです。
そもそも、当時私が古銭をやってなかったことが、浅井定量銀の最大の存在意義であったことを、ここに宣言します。
浅井定量銀なんていなくてもいてもどうでもよかったのです。
あと玉座系だけ扱いがわかんないけど、誰か正体を確定してください。
私の本では旧幕府軍の資金のために作られたかも。。としておきますが、正直わかんないです。
安政一分銀や明治一分銀でないのは確かです。
(2025年 12月 5日 17時 17分 追加)大阪鋳造→明治貨幣司一分銀14種
東京鋳造→明治貨幣司一分銀14種
(2025年 12月 5日 17時 41分 追加)もし、玉座系が安政一分銀とすると、明治一分銀は入り分を参考に作られるはず。
もし、玉座系が明治一分銀とすると、亜鉛を8%含んでいるはず。
(2025年 12月 5日 17時 46分 追加)つなぎ。。。とか言う人もいるけど、明治一分銀の半分程度の残存量があるので本格的に作っているし、つなぎでわざわざ入り分に極印変更する必要性もないので。
(2025年 12月 5日 20時 46分 追加)明治一分銀の位付けってむつかしいですね。
少なすぎるので、調査期間では十分なデータが集まらないんですよね。
これは玉座系についても同じく言える。
(2025年 12月 5日 21時 02分 追加)少なすぎるものは10年調査して、10で割って調査年月をかけるか。
(2025年 12月 5日 23時 36分 追加)新稿両替年代記関鍵には
亜鉛差一分銀
銀 79分3389
銅 11分5702
亜鉛 9分0909
との記載があり、
製造量
106万6千833両2分
量目9814貫868匁2分
銀7787貫008匁4分6里6毛3糸
銅1135貫599匁8分8里05糸
亜鉛892貫259匁8分5里3毛2糸
とあり、かなり詳細に金座人は記録を残しています。
(2025年 12月 5日 23時 48分 追加)最初は表面分析結果からこのデータを眉唾だと思っていたのですが、明治貨幣司一分銀の比重を測定するとこのデータの通りであったので、大阪、東京で製造されたのは明治貨幣司一分銀14種で間違いないです。
色揚げしているとは考えていなかったので、本を書く前に気づけてよかったです。
浅井定量銀のような大恥を私は本に残したくないので。。。
(2025年 12月 5日 23時 53分 追加)玉座系については、東北の幕府残存勢力が製造していたのではないかと思っています。
製造量的には明治一分銀の半分程度ですが、銀座から持ち出した、安政一分銀後期の極印に玉を彫刻したのではないか?
と思っています。
そのような記録があれば良いのですが、おそらくはないでしょうね。
ですので、あくまで謎の一分銀のまま終わる可能性が高いですね。
(2025年 12月 5日 23時 57分 追加)まあ結論から言うと浅井定量銀は烏合の衆。いてもいなくてもどうでもよかった。
私さえいればよかったのですよ。
古銭の神に等しい存在ですよね。
(2025年 12月 6日 0時 10分 追加)新一分銀(安政一分銀)は
銀87分2727
銅12部7272
となっていて、これも色揚げしていることがわかりますね。
表面実測は90%以上ですので
(2025年 12月 6日 0時 12分 追加)古一分銀(天保一分銀)は上銀と書いてあるのみで、当時の最高品位の銀だったんでしょうね。
(2025年 12月 6日 0時 40分 追加)今気づいたんだけど、古一朱銀、新一朱銀って書いてあるので、嘉永一朱銀と、安政一朱銀の文献上の根拠もあったんだ。
(2025年 12月 6日 0時 41分 追加)まあ、私が全部解明していただろうね。