吉田秀和の ”名曲の楽しみ” 全五巻BOXセット(学研パブリッシング)
「稀代の物書き師 吉田秀和の ”名曲の楽しみ” 」
例えば彼の考えに傾倒していった文章のいくつかを拾ってみると
ベームの音楽に対する姿勢や曲の基本的な解釈は一貫している、というのが大方の評価です。
吉田秀和氏はその著書の中で、ベームの練習風景を見たときの印象を「要するに楽譜に書いてあることが忠実に守られて音になって出てくるかどうかを厳重に監督している、その監督の厳しい細かさはちっとやそっとのものでではない」
と書いています。
稀代の物書き師、故吉田秀和氏の著書「物には決まったよさはなく・・・」のなかで「私はグールドのような人はほかに知らない」という項の書き出しで“グールドは1982年10月4日に50歳で死んだけれども、見方によっては、まだ完全に死んだわけではない。かれに関する本は今もなお次々と出てくるし、世界中にいる彼の読者の数は減るどころか益々増えている。それにもちろん彼の録音を記録したCDは依然として発売され続けている。つまり、彼の仕事はまだ意味を失っておらず、彼が生きていた当時に劣らないほど、生きているのである」と書いています。
吉田秀和は西側にデヴューした頃のリヒテルをこう書き残しています、『彼のベートーヴェン演奏について、聴き手にベートーヴェンの時代のピアノでこれほどのダイナミクスの大きな演奏が可能だったのかと疑問を抱かせる一方で、ベートーヴェンの創造的想像力の中では確かにこうした響きが鳴っていたに違いないと感じさせる説得力がある、「これはベートーヴェンを超え、何か別のものになってしまった」のではないかと感じた
亡くなった吉田秀和先生は「ヒリヒリするリズム感、完璧なタイム感覚、強靭な造形意思、濃密な感受性、・・・」と評しています。
ポリーニはミケランジェリの下で研鑽を積んだそうです。
吉田秀和氏は、フルトヴェングラーについて、「濃厚な官能性と、高い精神性と、その両方が一つに溶け合った魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだ、(ベートーヴェンが)これらの音楽に封じ込めていた観念と情念が生き返ってくるのがきこえる」と評しています。
吉田秀和氏が亡くなって10年になります。
芸術の深淵へと柔らかい言葉で多くの人々を導いてきた巨人であり、音楽にとどまらず、文学、美術、さらには相撲まで、異なる世界が垣根なく結ばれ、新たな表現の可能性を探っていた時代そのもののような存在でもありました。
私は吉田秀和、小林秀雄は永遠に記憶される評論文芸家だと信じています。
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