商品は、hachette(アシェット)から2012年に発売された日本陸海軍機大百科の第61号の局地戦闘機『震電』になります。台座に『海軍 九州 局地戦闘機「震電」 「J7W1」』と書いてあります。
◆趣味の『震電』
日本海軍には空技廠(海軍航空技術廠)という航空機の研究開発機関がありました。最先端の技術のテストや新型機の開発を行ったり、民間の航空会社が開発した機体のテストを行う組織です。
昭和18年頃、零戦の後継機として三菱で烈風の開発が行われてましたが、それとは別に空技廠では、従来の戦闘機の常識を覆すような新鋭機の開発が進められてました。従来の機体の延長線上の技術では画期的な戦闘機は作れないだろうと考えてたらしい。
普通の戦闘機はエンジンとプロペラが機首に配置されてますが、機体の後部ににエンジンとプロペラを配置した推進式と呼ばれる方式を取る戦闘機です。
実はプロペラは機体の前でも後ろでも飛行機は飛べます。世界初の飛行機であるライト兄弟のライトフライヤー号もプロペラは後ろ向きですし、戦後に開発されたアメリカの核爆撃機B-36ピースメーカーもプロペラは後ろ向きです。
プロペラが後ろ向きの推進式の方が効率が良いのですが、飛行機は離陸時に機首を上げて機体が斜めになります。この時、後ろにプロペラがあると、プロペラが地面に当たって壊れるとゆー。更にパイロットが脱出する時に、コックピットの真後ろにあるプロペラに巻き込まれて死ぬという最大の欠点がある為、敬遠されてました。
この推進式プロペラと、機体の後方に後退角を持つ主翼を配し、機首にカナード翼を配置したエンテ型と呼ばれる形式を採用した結果、ジェット戦闘機の様なスタイルを持つ画期的な戦闘機が出来上がりました(※空技廠では小型模型を使って滑空テストを実施してる)。
このプロペラ配置と機体形状のおかげで、震電は時速740kmというプロペラ機の限界に近い高速を誇ります(※イギリス初のジェット戦闘機グラスター・ミーティアより時速で100kmも速い)。
更にこの形状だと胴体を短くする事が出来る為(というか長い胴体が要らない)、機体はコンパクトに。
機首にエンジンが無いので、機首を細く、空力に優れた形状に。
更に機首が空っぽなので、そこに30mm機関砲を4門配置。超重武装になってます。
完成して量産化されてれば、間違いなく世界最強の戦闘機と呼ばれた事でしょう!
そして震電の研究が進められる中、日本を爆撃に来るB-29と戦うための局地戦闘機(迎撃機)が必要になったのですが、三菱に開発させてた雷電は欠陥機で、川西が開発した紫電も欠陥機でした。でもまあ使えない事もないので、この2機種は量産しながら改善・改良するという無茶な運用をしつつ、更に高性能な局地戦闘機の開発を三菱と中島に命じます。
十七試局地戦闘機として三菱の開発した閃電は水平尾翼が異常振動する欠陥機で、中島が開発した天雷は遅くて上昇能力が低くて局戦として失格だったので採用されずボツに。
そして同時期に震電の方も、空技廠が開発したデータを元に、九州飛行機で開発量産されることが決まったのですが、閃電も天雷も駄目飛行機だったので、次世代局地戦闘機は震電1本で行くことに決まりました。
昭和19年5月に正式に十八試局地戦闘機として開発がスタート。半年で図面が完成。
東南海地震とB-29の爆撃のせいで三菱のエンジン工場が壊滅した為、実機の製作が遅れ、昭和20年6月に試作機が完成。8月3日に初飛行。そして8月15日に終戦。
高性能なのに間に合いませんでした。
試作1号機が完成、試作2号機、3号機は組立途中で終戦になりました。
試作1号機は終戦後、アメリカに持ち去られ、スミソニアン博物館に展示してあります。。
写真の1枚目は、ブリスターの上から。