物言う首飾り
食を極めんとする道すがら、真の器を求めて古今東西の土をこね、火と対峙してきたこの俺が、まさか女の首飾りを語る日が来ようとはな。だが、分からぬ奴らには黙っていてもらおう。美の本質は、土くれだろうが、魚のひと切れだろうが、黄金(きん)の塊だろうが、何一つ変わらんのだ。
先日、ある男が「先生、面白いものが手に入りまして」と、恭しく桐箱を差し出した。開けた瞬間、俺の目は釘付けになった。そこに鎮座していたのは、単なる宝飾品ではなかった。それは、自らの意志と哲学を持つ、一つの生命体であった。
「B6556 美しいブルーサファイア 大粒絶品ダイヤモンド 最高級18金無垢セレブリティネックレス」。ふん、品書きなどどうでもよい。そんな無粋な文字列で、この存在の本質が語れるものか。
まず、この圧倒的な質量を見よ。61.95グラム。昨今のペラペラとした金細工とは訳が違う。これは、富の象徴であると同時に、揺るぎない品格の重みそのものだ。しなやかな蛇腹の如き曲線を描くこの18金の構造は、古代ローマの叡智と、ルネサンス期のイタリアの情熱が、20世紀のモダニズムと交わって生まれた奇跡のフォルムよ。ただの鎖ではない。肌に吸い付き、持ち主の体温と一体化する、生きた彫刻なのだ。
そして、中央に鎮座するこの青。サファイアだと?馬鹿を言え。これは、スリランカの夜明け前の空の色であり、エーゲ海の最も深い場所の色だ。カボションという、あえて光の屈折を抑えた磨きが、石の表面に、まるで水面が揺らぐかのような「アステリズム」の幻影を生み出している。これ見よがしに光を放つだけの浅薄な宝石とは、格が違う。内に秘めたる、底知れぬ知性と静謐。これこそが、真に人を惹きつける魔力というものだ。
周りを固めるダイヤモンドも、ただの取り巻きではない。一つ一つが、寸分の狂いもなく、サファイアという主君に仕える、誇り高き騎士たちだ。彼らは自らが輝くためではなく、あくまでこの深遠なる青を、夜空の星々が月を照らすように、引き立てるために存在する。この完璧な主従関係を構築した職人の美意識たるや、恐れ入る。
この首飾りは、一体いつ、誰のために作られたのか。想像するに、それは大量生産の時代へのアンチテーゼとして、名もなき一人のマエストロが作り上げたものであろう。流行などという、うつろいやすいものに媚びる気は毛頭ない。彼が目指したのは、100年後も、いや、500年後も色褪せぬ、普遍的な美の創造だ。
これは、自信のない女が自らを飾り立てるための小道具ではない。むしろ逆だ。社交界の喧騒の中にあって、自らの意志で静寂を保つことができる、孤高の精神を持つ女性。その人のための鎧であり、王冠なのだ。グレース・ケリーの気品、マリア・カラスの魂の叫び、ココ・シャネルの革命の精神。そういった、歴史を創り上げた女性たちのデコルテにこそ、この首飾りはふさわしい。
さて、だと?面白い。古美術の目利きたちが己の眼力を競い合う戦場に、この現代の至宝が紛れ込むか。いいだろう。だが、勘違いするな。これは、金で買える最も安価な芸術品の一つだ。価値が分からぬ者は、指一本触れることすら許されん。
この首飾りが持つ物語の、真の継承者となる覚悟はあるか。ただ身につけるのではない。この美意識と哲学を、自らの生き様として背負う覚悟が、お前にあるか、と。この品は、静かに、しかし厳しく、問いかけているのだ。