ハッソ・エッカート・フォン・マントイフェル(Hasso Eccard von Manteuffel)はドイツ陸軍の装甲兵大将です。ドイツの東西両戦線から砂漠のアフリカ戦線に至るまで転戦を繰り返した錬達の機甲師団指揮官です。開戦後1941年に始まった独ソ戦では第7装甲師団に属し、モスクワまで僅か50kmの位置にまで進撃しますが、攻略は出来ませんでした。1942年冬にはドイツ・アフリカ軍団(DAK)に転属となり、第5装甲軍(ハンス=ユルゲン・フォン・アルニム上級大将)配下のフォン・マントイフェル師団の司令官に任命されます。1943年にはウクライナのハリコフ攻防の激戦に参加し、ジトミル北部で包囲されていた第8装甲師団の救出に成功しました。その戦功から1944年2月は装甲擲弾兵師団「グロースドイチュラント」の師団長となります。1944年9月、47歳にして装甲兵大将に昇進し、西部戦線の第5装甲軍司令官に任命され、アルデンヌ攻勢に参加。1945年3月には東部戦線で第3装甲軍司令官に任命され、再び赤軍との戦いに従軍しますが、ドイツの敗北を悟ったマントイフェルは麾下30万の将兵の命を救うべく、国防軍最高司令部の命令に従わずに英軍に降伏しています。