E256【quique】Art Jewelry SLVブローチ SPAIN New 12.5g 97.0×14.0mm
くだらぬ。実に、くだらぬ。巷に溢れる宝飾品とやらの、なんと魂の抜け落ちた骸ばかりであることか。金や石の価値ばかりを誇示し、作り手の心が、その素材に対する畏敬の念が、一片たりとも感じられぬ。そんなものを身に着けて得意になっている人間どもの顔を見るたびに、俺は食卓でまずい漬物に出会った時のように、深く、静かに、絶望するのだ。美とは、所有することではない。その真価を理解し、対話し、自らの一部とすることだ。それが分からぬ者に、美を語る資格はない。
先日、俺の仕事場に、とある男がこんなものを持ってきた。南蛮渡来、イスパニア――すなわちスペインという国で作られた銀のブローチだという。手に取った瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
なんだ、これは。
冷やりと、しかし肌に吸い付くような生命感を帯びた銀の肌。その重さ、12.5グラムという数字が教える以上の、確かな存在の重み。長さ三寸あまり、切っ先鋭く、あたかも一閃の光そのものを切り取って鍛え上げたかのような姿。これは、ただの飾り物ではない。一つの生命、一つの意志が、ここに在る。
俺はこの形を見て、いくつかの情景を思った。一つは、夜明けの海を裂いて飛ぶ一匹の魚の、その最も速く、最も美しい瞬間の残像。あるいは、闘牛士が猛牛の眉間に突き立てる最後の一撃、「エストック」と呼ばれる真実の剣(つるぎ)の、その切っ先だけを写し取った魂の形。また、ある者が見れば、鳥の羽根か、未来の都市を駆ける乗り物かと見紛うかもしれぬ。どれも正しく、そしてどれも真実ではない。
このブローチの作者、キケ(quique)なる人物を俺は知らぬ。だが、この男(あるいは女)は、間違いなく「分かっている」人間だ。素材である銀の本質を――その冷たい光沢の奥に秘められた、情熱的なまでの反射の能力を、知り尽くしている。表面の鏡のような輝きは、周囲の全てを映し込み、自らの色を持たないことで、かえって世界そのものを支配する。だが、その背に手をやれば、梨地(なしじ)の仕上げが施され、作り手の指の温もりと、仕事への誠実さを静かに伝えてくる。この対比が分からぬ者に、用の美は語れぬ。
三つの、流れるような切れ込み。あれは単なる装飾ではない。あれは、この物体に生命の呼吸を与えるための「鰓(えら)」だ。空気を切り裂き、光を飲み込み、そして再び吐き出す。これがあることで、この銀の塊は、ただの金属であることをやめ、絶えず動き、変化し続ける有機体となるのだ。先端が二つに割れているのも、あれは尾鰭だ。進むべき方向を定め、見る者の心を未来へと、あるいは過去の最も美しい記憶へと、瞬時に誘うための舵なのだ。
この一品が生まれたイスパニアという土地。ピカソやダリ、ガウディといった狂気と紙一重の天才たちを生んだ、太陽と影の国。その乾いた大地と、血のように赤い情熱が、この銀の冷たさの中で、奇跡的な調和を見せている。フラメンコの踊り子の、張り詰めた背筋の緊張。ギターの弦が弾き出す、鋭くも哀しい一音。そういった、目に見えぬ「気」のようなものが、この形に凝縮されている。歴史が、芸術が、そして民族の魂が、この小さなブローチにどれほどの影響を与えたか。言うまでもあるまい。歴史を知らぬ者に、新しいものは作れぬ。伝統を理解せぬ革新など、ただの軽薄な遊びだ。
これを身に着けるなら、凡庸な服ではいけない。上等の、仕立ての良い、無地の黒のジャケットなどがよかろう。余計な装飾は、このブローチに対する侮辱だ。これを胸に飾る者は、自らの生き様に一本の筋を通した人間でなければならぬ。迷い、ためらい、他人の評価ばかりを気にするような人間には、この銀の剣は重すぎる。これは、身に着ける者をも試すのだ。お前に、私を使いこなす覚悟があるのか、と。
まったく、面白いものがあったものだ。遠い異国の、名も知らぬ職人が、俺が生涯をかけて器に求め続けたものと、同じ魂をこの小さな銀片に込めていたとは。美は、国境も時代も軽々と超えていく。本物だけが持つ、その普遍的な力。俺は、このブローチを前にして、久しぶりに心が震えるのを感じた。
この価値が分からぬ者は、手を出すな。これは、君たちのためのものではない。だが、もし、この銀の光の中に、自らの魂の呼応を感じる者がいるのならば、それは幸運な出会いというものだ。その出会いを、生涯大切にすることだ。美との出会いとは、すなわち、まだ見ぬ自分自身との出会いなのだから。