
ご覧いただきありがとうございます。
レトロチョコレートのウェブサイト
『20年前のチョコレートのメニュー』の管理・運営をしています。ひろと申します。
終活の一環として、
長年収集してきたパッケージコレクション約5,000点を、
次世代のコレクターさまのお手元に届けるため、順次出品してまいります。
どうぞよろしくお願い致します。
【商品】
シスコレーシングカーチョコレートの包み紙1個
チョコレートはありません。
パッケージのみの出品です。
【販売年】
1965年頃(昭和40年)
【コンディション】
表面印刷は許容範囲と思います。
形状はほぼ原型をとどめています。
その他、縦横に折りたたんだ跡があります。
【説明など】
蒼き風が赤を越えた日
1965年、モンツァの午後。
アスファルトの上を焼けつくような陽光が照らしていた。
観客の歓声とエンジンの咆哮が空気を震わせ、
レースは終盤、第78周目に差し掛かっていた。
先頭を走るのは、赤き王者フェラーリ・テスタロッサ。
幾度となく勝利を重ね、誰もその背中を捉えられなかった。
その後方に、銀色の閃光──
新型アストンマーチンが、静かに、だが確実に迫っていた。
そのマシンは試作段階の“プロジェクト・カー”。
新設計の直6エンジンはまだ不安定で、
ピットの誰もが「最後まで持たない」と囁いていた。
だがドライバー、ジョン・フィールドは無言でヘルメットを被り、
ただひとつ、「追う」という意志だけを握りしめていた。
最終コーナー、パラボリカ。
テスタロッサの排気音が一瞬だけ鈍る。
その刹那、アストンのシルバーが弾丸のように内側へ飛び込んだ。
観客席から息を呑む声。
エンジンが叫び、タイヤが悲鳴を上げ、
銀の車体が赤い流星をかすめ取るように前へ出た。
チェッカーフラッグが振られた瞬間──
空気が止まった。
フェラーリのドライバーはハンドルを叩き、
アストンのピットでは誰も声を出せなかった。
やがてジョンがヘルメットを脱ぎ、
薄く笑って呟いた。
「ようやく、風の前に出られたよ。」
その日、観客たちは見た。
赤を越えた蒼の閃光を。
そして誰もが知った。
スピードの時代に、新しい王が生まれたことを。
suivre…
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シスコ株式会社(CISCO CO., LTD.)は、
1950年代に設立された中堅菓子メーカーで、主にチョコレート・スナック類・シリアル食品を中心に事業を展開していました。
本社は東京近郊に置かれ、1960年代前半には「レーシングカーチョコレート」「ウルトラマンチョコレート」「プリンスチョコ」など、
時代の流行を反映したキャラクター・モチーフ商品で市場に一定の存在感を示しました。
しかし、1970年代に入ると、森永・明治・ロッテといった大手各社が
テレビCMや全国流通網を武器にシェアを拡大。
広告投資と製造設備の規模差が顕著となり、
中堅メーカーにとって独自ブランドの維持が難しくなっていきます。
シスコは1970年代後半から徐々に菓子事業からシリアル・食品事業へと転換し、
1977年には「日清食品」の傘下企業となりました。
以降はチョコレート菓子の自社製造を終了し、
ブランドとしては「日清シスコ株式会社」へ移行。
コーンフレークやグラノーラなどの朝食用シリアル専門メーカーとして再編され、現在に至ります。
このため、1960年代に存在した「CISCOチョコレート」ブランド群──
とくに「レーシングカーチョコレート」など玩具的・少年文化的要素を含む製品群は、
1970年代初頭をもって完全に姿を消しました。
社史上も、菓子期の資料はほとんど残っておらず、
現在確認されているパッケージ類はすべて民間コレクターによる保存によるものです。
【送料】
出品者負担(落札者様に追加料金は発生しません)
補足:落札後に送料が予想以上にかかると感じられる方が多いようでしたので、送料はすべて出品者が負担いたします。安心してご入札ください。
【発送方法】
匿名配送(ゆうパケット)
【梱包について】
水濡れ防止・折れ防止を徹底して梱包します。
【取引に関するお願い】
大切に保管して参りましたが、経年による劣化や折れ、擦れ、ムシレなどがあります。
ノークレームノーリターンをご了承の上で入札をお願い致します。
【出品にあたっての思い】
チョコレートパッケージを大切に保存していただける方にお譲りしたいと思います。
【宣伝】
コレクションの一部は、神戸のフェリシモチョコレートパッケージミュージアムに寄託保存しています。ここは数年前にできた博物館で、日本で唯一のチョコレートパッケージ専門の博物館です。こちらの方にお越しの際は、是非ともご来場いただきたくお願いいたします。