私は、静寂を信じない。
宇宙も、そして人の心も、完全なる静寂などというものは存在しない。そこにあるのは、絶え間ない生成と消滅、収縮と膨張のダイナミズムだ。原子の核でさえ、その内には途方もないエネルギーが秘められている。私の仕事は、その目に見えない真実を、掌に収まるほどの小さな彫刻の中に永遠に封じ込めることだ。人々が「ジュエリー」と呼ぶ、私の宇宙の断片の中に。
このブローチの着想を得たのは、ある冬の夜のことだった。私は暗いアトリエの窓から、凍てつくような夜空を眺めていた。その漆黒のカンバスに、突如として花火が打ち上げられた。一瞬の閃光、そして無数の光の粒子が、重力という見えざる法則に抗いながら、壮麗な弧を描いて散っていく。その光景は、始まりであり、終わりでもあった。誕生の叫びと、静寂へと還る前の最後の吐息。私はその瞬間を、永遠にしたかったのだ。
まず、骨格となる金を選んだ。純粋で、温かみがあり、光そのものを体現する金属だ。しかし、私はそれを伝統的な宝飾品のように、重々しい台座として使うつもりはなかった。私の金は、エネルギーの軌跡そのものでなければならない。アトリエの隅で、私は何本もの18金のワイヤーを熱し、叩き、引き伸ばした。それらは爆発の中心から放たれる光線であり、生命が伸びていくための茎であり、宇宙を繋ぎとめる繊細な法則の糸だ。一本一本の角度、長さ、そして僅かなカーブに、私は意図を込めた。それは制御されたカオス、計算され尽くした偶然性の表現だった。
次に、光の粒子そのものである、真珠が必要だった。私は日本の海で育まれた、最も純粋な光沢を持つアコヤ真珠を選んだ。大きさの異なる球体は、爆発のエネルギーが伝播する様を表現している。中心に近いものはより大きなエネルギーを持ち、外縁に向かうにつれてその力は拡散していく。真珠の完璧な球体は、宇宙の秩序と調和の象徴だ。しかし、私はその調和を打ち破りたかった。それらを非対称に、まるで星々が天の川に無造作に散らばるかのように配置することで、静的な美しさではなく、動的なドラマを生み出したのだ。
だが、この宇宙だけでは、まだ生命が欠けていた。天上の、冷たい美しさだけだった。私はそこに、地球の息吹、生命の神秘を吹き込みたかった。そこで私は、翡翠を選んだ。数千年の時を大地の中で過ごし、森の最も深い緑と、穏やかな川面の光をその内に宿した石。
私は二種類のカットを施した。一つは、滑らかなカボション。それは生命の源である種子であり、凝縮されたエネルギーの雫だ。もう一つは、鋭い先端を持つマーキス(ナヴェット)カット。それは芽吹き、成長していく若葉の力強いフォルムだ。これらを真珠の天体系宇宙の中に点在させた。金色の光線に支えられた翡翠は、まるで超新星爆発の中から生まれた新たな生命の萌芽のように見えるだろう。西洋の合理性と、東洋の深遠な生命観の融合。それこそが、私の描きたかった宇宙の全体像だった。
このブローチを手に取る人は、単なる装飾品を身につけるのではない。彼らは、創造の瞬間のエネルギーそのものをその身に纏うのだ。それは1950年代の、我々が原子の力を解放し、宇宙へと手を伸ばし始めた時代の精神の表れでもある。古い秩序が崩壊し、新たな可能性が爆発した、あの時代の不安と高揚感。
この小さな宇宙は、静止していない。見る角度によって、光は真珠の上を滑り、翡翠の奥深くで揺らめき、金の線はまるで動いているかのように見える。それは身につける人の呼吸や動きと共鳴し、絶えず表情を変える生きた彫刻なのだ。
私の名は、やがて忘れ去られるだろう。しかし、この金と真珠と翡翠でできた小さな爆発は、時を超えて誰かの胸で輝き続ける。そして、見る者に静かに語りかけるだろう。静寂は幻想であり、生命とは、かくも美しく、輝かしい爆発の連続なのだ、と。