*日本航空輸送株式会社は1928年に政府主導で設立された日本の民間航空輸送を一手に
担う航空会社でしたが、1938年に大日本航空株式会社へ改組されています。
出品している絵葉書は同社が、ノベルティとして昭和10年頃に制作したものです。
その後、終戦時に連合国により、解散させられています。
*中島飛行機株式会社は、1917(大正6)~1945(昭和45)年まで存在した、航空機・
航空エンジンメーカーです。日本軍向けに多くの軍用機を開発・製造しています。
①「中島スーパーユニバーサル」
「中島スーパーユニバーサル」は日本航空輸送の6人乗旅客機でした。フォッカー北アメリカ
支社が1926年に初の自社開発機として「フォッカーユニバーサル」を制作、1928年には4人乗りを
6人乗りに改良した「スーパーユニバーサル」の制作を開始しました。はがきの飛行機は1931年
に中島飛行機が「中島スーパーユニバーサル」としてライセンス生産した内の1機です。
エンジンは中島ジュピター6型(420馬力単発)を搭載し、巡航速度は180khでした。日本航空
輸送はこの機体を最大で25機保有し、東京~大阪~福岡間で定期航空輸送を行っていました。
②「中島P-1型郵便機」
はがきの「中島P-1型郵便機」は日本航空輸送が1933年に、中島飛行機へ夜間郵便輸送用にと
発注した8機の内の1機です。中島ジュピター6型(420馬力単発)エンジンを搭載し、巡航速度は
190khでした。中島飛行機は、九〇式二号水上偵察機を改造して制作しました。
8月に東京~大阪間で運用開始されましたが、搭載量の小ささや燃料・乗員不足で夜間輸送が
中止された結果、短期間での稼働となりました。
*長期保存による古色感が少しあります。写真を参照ください。