THE Ⅶ INTERNATIONAL CHOPIN PIANO COMPETITION 1965・Warsaw
ARTHUR MOREIRA - LIMA - Piano, Brasil
Winner of the Second Prize
FRYDERYK CHOPIN
Sonata in B flat minor Op. 35
Nocturne in E flat major Op. 55 No. 2
SCHERZO in Bflat minor Op. 31
Etude in F major Op. 10 No. 3
Etude in C minor Op. 10 No. 12
Etude in E minor Op. 25 No. 5
Etude in B minor Op. 25 No. 10
3 Preludes, Op. 28
- in B flat major No. 21
- in G minor No. 22
- in F major No. 23
WARSAW PHILHARMONIC - HALL RECORDING
Polskie Nagrania MUZA HiFi XL-0266
1965年に開催された第7回ショパン・コンクールでアルヘリチと競い二位に甘んじたアルトゥール・モレイラ=リマ(1940. 7. 16~ )の同コンクールでの実況録音盤である。副審査委員長だった「フリエールは『本選のコンチェルトでは、明らかにリマがアルヘリチを上回っていた』と述べており実際の総計点もたった一ポイントしか差がなかった(佐藤泰一著《ショパン・コンクール》、春秋社、2005 )」。
当盤の収録曲ではとりわけ《葬送》ソナタと夜想曲作品55-2が比類ない名演奏で、フレージングやアゴーギクにそ異なところは皆無でパッセージを弾き飛ばすこともなく若き巨匠といった風格や沈着ささえ感じさせる。彼は後年、70年代に同《葬送》ソナタをスケルツォ第2番とともにコンサートホール・ソサエティに録れているが、細部におけるピアニズムの精緻さにおいても同スタジオ録音盤に劣らず、このライヴ演奏からはコンクールの場に臨んでの内から湧きあがる彼の高揚感が強烈に伝わってくる。このソナタの名演によりリマは第二位の受賞に加えソナタ演奏の最高の解釈に対し贈られる《マリア・コワルスカ=シュヴァルベ賞》を受賞している。また練習曲全四曲はテンポのすこぶる速い自発性に富んだ天馬空を行くがごとき演奏だが、その技巧の冴えは超絶的であり「ミス・タッチ」が全く聴かれない。ショパン作品全曲録音を一度は目指した彼が練習曲全集の録音を残さなかったことが惜しまれてならない。
出品者がモレイラ=リマのリサイタルを聴いたのは1976年9月21日、彼の二度目の来日時である(於、大阪厚生年金会館)。
リサイタルは二曲のノクターンで始まったが「ガラス玉がビロードの毛の中に埋もれていって、即興的な不思議な匂いさえ醸し出す(野村光一)」と評された優麗極まり無い音色で艶やかな旋律を歌い上げ一挙に聴衆を酔わせてしまった。出品者がこれまでピアニストを生で聴き玲瓏たるピアニッシモの美しさに驚嘆し陶然とさせられたのはホロヴィッツ、チェルカスキー、リンパニー、そしてこのモレイラ・リマである。ソナタ第3番では、艶やかな旋律が次々と展開していく第一楽章を独特なアゴーギクでロマンチックに色付けをしながら絶妙に歌い上げ、第3楽章のラルゴの嫋嫋たる旋律が止め処も無く続くやうな箇所ではさらにその比類無いピアニズムは真価を発揮していった。
1980年代以降、モレイラ・リマは米Arabesqueレーベルにショパン作品全集の録音を開始する。まず皮切りに《前奏曲・全曲》を録音するが、その後、如何なる理由か不明だが同レーベルとは袂を分かつ。リマはその後、米PROARTEに《ワルツ集・全19曲》を録れた後、帰国後、それを引き継いだBRASIL-ARTEに《スケルツォ集・全4曲》《夜想曲集・全21曲》《ポロネーズ全集・全16曲》を録れるも上記の通り練習曲全集は未録音のままである。現在、リマはむしろショパンからは距離を置き母国ブラジルのヴィラ・ロボスやナザレを愛奏し、また音楽仲間とポピュラーやジャズを演奏したりしてもっぱら「ミュージック・メーキング」に楽しみを見い出しているやうに思われる。
盤面はポーランドMUZAには珍しいほど全く瑕は見当たらずニア・ミントレヴェルである。念のため試聴するもクリック・ノイズなどの発生は皆無だった。ジャケットは若干、経年の傷みがみられるが破損、滅失部分は無い。