1959年に発売されたフォード車初の小型車で、大ヒットモデルとなっていたフォード・ファルコンをベースとしたスポーティーカーとして、
1964年にコンバーチブル及びハードトップのラインナップで登場した。バランスの良いスタイリングと性能、
広告代理店の巧みなマーケティング戦略で発売当初から高い売れ行きを記録し、アメリカの自動車史に残る大ベストセラーとなった。
標準装備を簡素にして本体価格を抑える(ベーシックモデルで2,368ドル)代わりに、1機種の直列6気筒エンジン
(ファルコン170シックス) と2機種のV型8気筒エンジン (チャレンジャー260V8、同289V8) 、オートマチックトランスミッション、
ディスクブレーキやLSDなどのオプションを予算に合わせて追加することで、比較的低コストで性能を上げることが出来た。
またビニールレザーシートの色、ホイールのデザイン、ホワイトリボンタイヤなど、外観のオプションも豊富に用意され、
外見だけをカスタマイズすることも可能であった。この「フルチョイスシステム」により、外観重視の街乗りコンバーチブルから
アマチュアレーサー向けの本格的なレース仕様まで選ぶことが出来るようになり、1車種で幅広い年齢、収入、趣味の層を取り込むことに成功した。
1965年にファストバックが追加。エンジンはファルコンシックスが排気量を増加した200となる。
チャレンジャー260V8がなくなり、3種類の性能を持つ同289V8となった。
1967年モデルはホイールベースこそ不変だがボディ外板を一新して全長・全幅、トレッドともに若干大きくなった。
ハイパフォーマンスモデルはGTパッケージで、サンダーバード390V8が追加。映画ワイルドスピード×3
TOKYO DRIFTに
緑色に白のストライプバイナルで登場。
1968年モデルでは直列6気筒エンジンが2種類の250シックスとなる。チャレンジャー302V8が追加。
映画ブリットに登場している。マスタングのシンボルマークが車体の左右にもつけられていた。 ベーシックモデルは新車でも低価格で、改造もしやすいためアマチュアレーサーにも人気であり、ショップによるチューニングカーも登場した。
またサードパーティ製のカスタマイズオプションも多く販売された。
初代後期(1969年 - 1973年)
1969年モデルのマスタングはボディサイズが大型化され、性能と価格も全体的に上昇して登場した。
ホイールベースは1970年モデルまで前期型から不変の108in.(2,743 mm)であったが、1971年モデル以降は109in.(2,769 mm)となった。
ファストバックの名称はスポーツルーフに変更された。また、特定のグレードを持たなかったマスタングにグレード名が付いた。
ボディはハードトップ、コンバーチブル、ファストバック(スポーツルーフ)の3種。グレードはハードトップと、その豪華仕様のグランデ。スポーツルーフと、それをベースにさらにスポーティなルックス&パフォーマンスを持ったMach 1
(日本では通常「マッハ1」と呼ばれる)が登場。
フォードではマーケティングの一環としてレースに参加し、ホモロゲーション取得用のモデルをフラッグシップとして設定することを計画した。
フォードではシェルビ・アメリカンを興したキャロル・シェルビーに依頼しチューニングモデルのGT350(シェルビー・マスタング)で参戦したが、
高価で売り上げが見込めないことから、GT350よりも幅広い層に購入できる価格に抑えたBOSSを新たに開発し、
こちらを主力とすることとなった。
Bossシリーズには、1969年と1970年モデルにBoss 302とBoss 429の2タイプがあり、特に前者は
レーシングマシン直系の
302
「ボス」V8を搭載したトランザムシリーズのホモロゲーションモデル(排気量5,000㏄以下)に合致させたモデルである。
フロントにエアダムを備え、ボンネットやロービーム部分を艶消し黒で塗っているのが特徴(1969年型)。
Boss 429はNASCAR用ホモロゲーション取得用であり、単にエンジンの市販台数(500台)をクリアするためにのみ作られた
(マスタング自体にNASCAR出場資格はなかった)。
マスタング歴代最大排気量となる429ボスV8が搭載され、ボンネット上にはひときわ大きなエアスクープが取り付けられた。
カタログ
スペック上は375馬力であるが、実際には600馬力以上あったと言われている。
Boss429はフォードの生産車と言うよりは、むしろ改造車というべきで、フォードのワークスともいうべき「カー・クラフト」で生産された。
コブラジェット428V8を登載したMach 1にオハイオ州ライマで生産した429ボスV8を合体させた。
1971年からは規定が変わり、
351-HOを載せた「Boss351 」が1806台生産された。
これはエンジンの公認を取るために生産されたもので、この車自体はレースに出なかったものの、パワーと足回りのバランスが秀逸だったと評価されている。
マッハ1は、1969年と1970年モデルではコブラジェット428V8、
1971年モデルではコブラジェット429V8を搭載し、
さらにオプションでSuper Cobre Jetラムエア・インテークを装備していた。しかし翌年からは351V8のみになった。
1973年モデルでマイナーチェンジ。フロントグリルのフォグランプが横型から縦型になりグリル開口部が大きくなる。
映画では
1971年型が『007
ダイヤモンドは永遠に』のボンドカーに採用されたほか、1973年型が『バニシングin60''』で
主役のエレノア(エレナー、ELEANOR)に抜擢され、約40分間の
カーチェイスシーンを務めた。
日本では栃木県警察
に1973年型のマッハ1をベースとしたパトロールカーが高速取締り用車両として導入(寄贈)され、引退後は鹿沼市の栃木県運転免許センターに展示されている。 当初はそれなりの販売台数であったが、前期型よりも大型化、ハイパワー化したため燃費が悪化しており、
加えて1973年に起こった第一次
オイルショックの影響もあり、小型軽量化など省資源指向への対応ができなかったことで、
最終的には販売が低迷してしまった。