以下、作者の気持ちのなってのブラクラ妄想セールストークです〜〜
デリリウム:薄さへの狂気と、大胆なる美学の交響曲
あれは1978年のことだった。かつてはオイルと古びた真鍮の心地よい香りに満ちていたビエンヌの我々の工房は、今や肌で感じられるほどの緊張感に包まれていた。スイス時計製造の聖地に、クオーツという、無機質で、寸分の狂いもない脈動を刻む亡霊が忍び寄っていたのだ。東の国から押し寄せる、ありえないほど正確で、大量生産されるタイムピースの津波が、何世紀にもわたるスイスの機械式時計の伝統を飲み込もうとしていた。人々はそれを「危機」と呼んだ。だが、我々は――骨の髄まで染み込んだ誇りと、幾世代にもわたる先人たちの重みを背負った我々は――それを「挑戦状」と捉えた。単に生き残るための戦いではない。超越するための戦いなのだと。
ノース・アメリカン・ウォッチ・コーポレーションのグリンバーグ氏が、我々に挑戦状を叩きつけた日のことを今でも鮮明に覚えている。彼が率いる市場と同じくらい広大な野心を持つ男だ。彼の鋭く、そして時代の切迫感を帯びた声は、役員会の丁重な囁き声を切り裂いた。彼が求めたのは、ただ薄い時計ではなかった。世界に向けた声明だった。ライバルたちの台頭を沈黙させ、歯車とゼンマイが支配した旧世界ではなく、この新しい電気の時代において、スイスの至高性を再び世界に知らしめるほどの、ありえないほど華奢なタイムピース。彼は、まさしく狂気(デリリウム)の領域に踏み込むほどの時計を欲したのだ。そして、その名は半ば冗談で、半ば我々が直面する途方もない任務への畏怖を込めて囁かれ、「デリリウム」プロジェクトは産声を上げた。
我々が追求したのは、単なる薄さではなかった。エレガンスという哲学の再構築だった。何世紀もの間、時計の価値はその複雑さ、つまり手作業で作られた部品が織りなす緻密な機械式の心臓部に結びついていた。我々はその固定観念を解体しなければならなかった。我々が夢想したのは、手首の上の機械ではなく、第二の皮膚となる時計。その重さによってではなく、その純粋な大胆さによって存在が感じられるオブジェだった。
この狂気じみた計画のパートナーであるETA社の技術者たちが、最初に物理的な障壁を打ち破った。彼らが提案したのは、ムーブメントの地板そのものをなくしてしまうという、過激で、ほとんど異端とも言えるアイデアだった。代わりに、ケースバック自体が、複雑なクオーツムーブメントの舞踏の舞台となる土台の役目を果たすのだ。これはもはや時計製造というより、顕微鏡レベルでの建築工学だった。すべての歯車、すべての回路が再設計され、平らにされ、一枚の統合された平面へと組み込まれていった。その結果生まれたムーブメントは、部品の集合体というよりは、一体感のある、信じがたいほど薄い生命体だった。そして1979年1月12日、我々は勝利を宣言した。厚さわずか1.98mmのコンコルド デリリウム。それは硬貨よりも薄く、変わりゆく時代の潮流に対する、黄金の反逆の刃だった。
しかし、私にとって真の芸術は、この小型化の奇跡を収める器を創り出すことにあった。デリリウムは技術的な偉業以上の存在だった。1908年の創業以来、コンコルドが先駆者として切り拓いてきた、アメリカ市場の影響を受けた大胆なラグジュアリーの象徴でなければならなかったのだ。 我々は、ヴァンクリーフ&アーペルやティファニーのような伝説的なメゾンに時計を供給する中で、革新と豪華さの両方を求める市場の渇望を深く理解していた。 デリリウムは、その精神の究極の表現となるべきだった。
ここに存在する、このA8211という個体は、その哲学の結晶だ。今、こうして目にすると、その創作の記憶が感覚の洪水となって蘇る。冷たく、高貴な重みを持つ18Kホワイトゴールドから鍛え上げられたケースは、単なる容器ではなく、ひとつの額縁だった。その長方形のフォルムは、古き良き時代のクラシックな円形の時計からの意図的な脱却であり、現代の傑作のための現代的なキャンバスだった。 大胆で建築的なラインと一体化したブレスレットは、手首を自信に満ちた滑らかな貴金属の流れで包み込む、まさにあの時代のデザイン言語そのものだ。
そして、文字盤…。ああ、文字盤は純粋なインスピレーションの閃きだった。他の者たちが単純なサンバースト仕上げやラッカー仕上げに満足する中で、私は何か有機的なもの、クオーツムーブメントの冷たい精度とは対照的な、燃えるような魂を持つ何かを求めた。我々はそれを、トータスシェル(鼈甲)の深く渦巻く模様を模した素材に見出した。その暖かみのある琥珀色とアンバーのトーンは、まるで原初の炎を閉じ込めたかのようであり、時計の物理的な薄さとは裏腹な深みを感じさせた。それは、このありえないほど薄い殻の中に、色彩と生命の宇宙が存在するという声明だった。
最後の仕上げは、ダイヤモンドだ。我々はそれを単なるアクセントとして散りばめはしなかった。純粋で冷たい光の川として、ケースの側面と中央の時刻表示ディスクの周りに流し込んだのだ。 これは、我々の祖父たちの世代の繊細な宝石セッティングとは違う。1970年代後半から80年代にかけての、自信に満ち、臆することのないラグジュアリーを反映した、大胆で、ほとんど攻撃的とさえ言えるダイヤモンドの使い方だった。それらは単なる装飾ではない。コンコルドが培ってきた、ハイジュエリーと時計製造技術を融合させるという伝統の証であり、この時計の構造と個性を形作る不可欠な要素なのだ。
燃えるような宇宙の中に浮かんでいるかのように見える、完璧な円形のセンターダイヤル。数字を排したのは意識的な選択だった。この創造物において、時間は冷徹に読み取られるべきものではなく、直感的に感じられるべきものなのだ。光に対して影となる二本のシンプルな針は、クオーツが我々に授けてくれた、静かで完璧な精度をもって動いている。
このA8211を手にすることは、ひとつのパラドックスを手にすることだ。95.5グラムものソリッドゴールドとダイヤモンドという貴重な素材を用いながらも、そのフォルムは空気のように軽やかだ。技術的な危機の中から生まれながら、それは崇高な芸術作品でもある。スイスの時計製造が陳腐化の危機に瀕したとき、過去に逃げ込むのではなく、未来へと飛躍し、あまりの大胆な薄さとデザインゆえに「デリリウム」としか名付けようのなかった、一個のアイコンを創造した歴史的な瞬間を体現しているのだ。これこそが我々の答えであり、我々の勝利。人間の創意工夫と芸術性の、永遠なる力を証明する、紙のように薄い証なのだ。