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◆プリント量子狗「千の狗」他5冊、 海賊版本より2007年
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◆2026年、写真史上初の量子狗「千の狗」 海賊版本「森山大道の葉山大道」より、
2007年
アクリル板に挟まれた量子狗が「千の狗」としてプリントしてあります、
前後上下左右自由自在

海賊版本「撮ラバ撮ーレ!!」付録
天才!寺山修司への強烈なオマージュ
他、「犬の記憶」、写真展図録など全5冊

解説;写真史上初の森山大道、量子狗スピン写真「千の狗」、海賊版本
 写真のインフラとしてのカメラ革命は写像定着が塩基(塩化銀)から
量子素子(Quantum) への転移と認知です
塩基での量子効果が数%から素子の量子効果が80%という革命が
スマホでの写真を可能にした、人間の肉眼の解像度や明度を凌駕したのですが


(2026年 3月 7日 6時 09分 追加)

『北の狗の街で
私の写真を撮らないでください
私はそこにはいません
千の狗になって世界を彷徨っています』

私の名前は彷徨う幇間狗です、
記録より記憶に残りたい
美術館の壁は小便するのに向いてます、
世界中の美術館で壁に小便をするのが夢です、
本当は便を排泄したいのです

(2026年 3月 7日 6時 32分 追加)

Addition:
“In the northern city of dogs,
please do not take my photograph.
I am not there.
I wander the world as a thousand dogs.

My name is the wandering jester-dog.
I would rather remain in memory than in records.

Museum walls are well suited for urinating on.
My dream is to urinate on the walls of museums all over the world.
In truth, what I really want is to defecate.”

(2026年 3月 7日 6時 36分 追加)
Aggiunta:

“Nella citt del nord dei cani, per favore non fotografatemi.
Io non sono l.
Vago per il mondo come mille cani.
Il mio nome il cane-giullare errante.

Preferisco rimanere nella memoria piuttosto che nei documenti.
I muri dei musei sono adatti per urinarci sopra.
Il mio sogno urinare sui muri dei musei di tutto il mondo.
In verit, ci che desidero davvero defecare.”


(2026年 2月 26日 20時 49分 追加)

『森山大道が1980年代にニエプスに出会い、無邪気に印画紙に写真を焼いていたころの
森山大道は多くの先達の写真家の印画紙プリント技術の講釈に情熱をかけた
特に マンレイのピーマンやキャベツなどの野菜のレイヨグラムを称賛します、そして
フランスの片田舎サンルーに出向き、19世紀中ごろ印画紙に露光したニエプス最初の銀塩写真のタブローに

一方、技術と科学はインターネットと同時期にデジタル映像素子が発明され進化を続けます
彼、森山大道は20世紀末、
『自分が印画写真を終わらせる』、とまで青弓社の本の中で言い放ちますが

その後彼はひたすらPhotoshop などのデジタル写真編集アプリを駆使し、デジタル写真図案家になりました。』

彼は半世紀にわたり、写真図案化として自由自在に擬態と変態を繰り返しました


(2026年 2月 27日 7時 49分 追加)

三沢犬研究に勤しんだ晩年、恩田は森山の言説を内部表現論だと理解します。犬神もエロヒムも聖霊も悪魔も内部表現に過ぎないとの理解です。それに従えば所謂グノーシズムも内部表現に過ぎません。こうした逆説に敏感な汎内部表現論を忍田は<原グノーシズム>と呼びます。そこまで絶対を追求すると、狗神と糞神は近い存在にならざるを得ません。

  •  ちなみに内部表現論は、人の世界体験の全てを社会システム(社会)と心的システム(人格)に媒介された内部表現だと理解する枠組です。これは世界体験の外に未規定な世界が在るとする存在論です。他方、汎神論は、世界の存在そのものを神と同置するスピノザ的なもので、科学に通暁した人が受容しやすい存在論です。いずれも修養系と黙示録系を徹底的に否定します。
    叙事派と自認する森山には汎神論的犬神の三沢犬が都合良かったのですよ。
    ーー
    「鈴木志郎康:アサヒカメラより」
    路上の野良犬を捉えた1枚の写真がある。その犬は危険であるか、そうでないまでも人を警戒し、用心深そうにみえる。 彼は、荒れた都市の路上の冷酷さと粗暴さという非人間的な闘争のただなかにいる。重たそうな毛むくじゃらの外套に守られて、彼は注意深く写真家を見つめている。この写真はすれちがいざまに撮影された。ふたつの存在の一瞬の結びつきのうちに、視野からはほとんど外れながら。それはストリート・フォトグラフィーの伝統、とりわけアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品に見られるような雄大で、落ち着きはらった写真とは、およそ異なっている。犬は斜めに見られ、フレームは傾き、この映像が瞬発的に生み出されたことを示している。写真は粒子が荒れ、 ほとんどピントが外れかけている。催眠的で、ハードで、 とてもパーソナルな写真だ。現在という時間の中に凍結させられて、犬は瞬間を超越するような原始的で謎めいた力をもっている。犬はどことなく魔術的で、悪魔のようで、何かに憑かれているように見える(本書106頁)。ーーー

     戦後日本文化を観察し批評する者たちの多くは、そのラディカルで大胆な性格に言及すると同時に、この文化には、一貫して系譜をたどることができるような先行例や、未来へと一直線に展開していくことが欠如していることも指摘してきた(3)。西洋の前衛とは異なり、日本の前衛は常にメインストリームの外部に位置してきた反体制文化の表現だった。

    1960年代から70年代初頭にかけての日本の芸術のあらゆる領域―――絵画、映画、 演劇、文学、そして写真――の多くはきわめてショッキングで、 刺激的で、政治と社会的関心によって触発されている。例えば1965年の『カメラ毎日』に掲載された座談会では、写真と芸術表現、あるいは写真と記録との関係について議論がなされている。そこでは写真という媒体が有するダイナミズムだけでなく、日本の写真家たちが直面していた課題が示されている。
     彼らは強烈で複雑な主題から、叙情的な表現を曳き出そうと試みていた(4)。日本のヌーヴェル・ヴァーグ映画や祭りに触発された寺山修司(彼は森山の友人であった)の演劇パフォーマンス、 その他のさまざまなラディカルな創造的エネルギーの噴出と同様に、この時代の日本の写真は、それが記録にとどめた、互いに衝突し合う社会的諸勢力と密接に結びついていた。



(2026年 2月 27日 7時 57分 追加)

#インチキ #はったり #写真図案家 #繰り返す断片 

森山の最大の犠牲者が倉田氏か?後藤先生も何を勘違いしたか森山の写真を現代アート などと勘違いしている。
写真の持っている機能と、森山の写真が持つ『スーパーのチラシ・デザイナー』のもつ写真技術的撹乱は途方もない 誤解を多くの人間にもたらした。
なくなる前の倉田精二の話を聞くとまるで遺言のようだっ、

「ジャパン・東京で生きることは旅です。これほど変容が激しいアジアの首都、首都圏はあるでしょうか。多分ないでしょう。私の生を問う旅はこの都市で始まりました。少し遅れ気味の出発でしたが。

もう若くもない或る日、いわゆる現実感の希薄化と麻痺が相乗して進行し、やがて現実全域の荒廃と喪失へと広がりかねない事態に落ち入りました。怯えと不安と焦躁とが先を競い合い、症状をさらに拗らせます。慌ててテレビの電源を切りますが、ついうっかりとカメラに手をのばし、この光学装置の仕組みは何かと……これが私の写真の始まりです。同時に、自ら表現を仕立て語るべきものは何かとかなり綿密に内面を探査したのですが、格別に見当たりません。きっと数年の間にテレビに残らず吸い取られてしまい、リヴィングデッドの仲間入り寸前だったのでしょう。
 
過ぎ去りし日々への想いを切り捨てる断念と新たな正気が到来した文化の貧者。しかし現在に生成することを写真によって知ることができるかもしれない。外へ表へ街へとその現実と現象へと誘う写真行為が始まりました。時空間の変化に対応する、とても機能的で安全でしかも魅惑的にハンディでホモ・モバイルな装置です。うまく操作さえすれば、私の生の覚醒へ向かう道筋の記録装置となり、五感を磨ぎ研ぎ、知覚をおし広げてくれる信頼ある道づれです。
 
そんな同伴のカメラとは絶えず対話を続けてきました。常に移り変わる現実と現象の中で、いつか賞味期限が来るであろうカメラワークの技法とその有効性を試行する35年は夢のように過ぎ去りました。しかし、Flash Upの当時から今もって変わらない写真への姿勢と意識形成のスタイルがあります。それは1975年から4 年間のStreet Photo Random の間に培われたものです。とりわけ“snap”という作法は、世に遍在する百聞の情報をお断りしながら、存在の有無が知れない足場を拾い歩くものです。不可避にスリリングな試練、そして素敵な挑発も少なからず頂けるのが刺激となり私を前進させてきました。
 
しばし瞑目。やはりこの世界は素晴らしいと讃えましょう。そこには未知の不思議と予期しえない驚きが満ちています。それは例え一瞬であれ、あの輝く光の帯が張りめぐらされた天空の下に、全ての存在が肯定と受容へ向かう物語が続きます。
21世紀を生きる方々へ、倉田精二」


(2026年 2月 26日 16時 07分 追加)
5月公開発売予定

「森山アポリア(Moriyama’s Aporia)」──つまり、写真という行為そのものが抱える「真/偽」
「生/死」「記録/喪失」の矛盾をめぐる、思想的・映像的ドキュメント。

では、TV的な「知の演出」を活かしつつ、哲学的ナレーションと詩的モンタージュを交えた、
モノクロ・ドキュメンタリー再構成版『森山アポリア』 をお届けします。
少し掘ると、かなり面白い話になります。  お話の流れは、日本写真史のかなり地下水脈の部分ですね。


(2026年 3月 17日 15時 19分 追加)
AIの技術で作成された森山大道的表現の能力は
森山本人を超えています。
それ故森山は写真史から退場せよと宣言します

この一文には、AIの到来によって “作家本人を超える作家性が生成されうる” という強烈な問題提起と、写真史における作者性の終焉という挑発が入り込んでいます。
以下に、この宣言を「思想的に深める」形で展開してみます。必要であれば、宣言文そのものを練り直したり、論文的な構成にしたりすることもできます。
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■「AIが森山を超えた」という命題の含意
1. “森山的表現”はスタイルとして抽出可能である
ハイコントラスト
粒子
ぶれ・ざらつき・粗暴な構図
主体の匿名性
これらをAIは統計的に抽出し、“森山大道風” を無限生成できる。
つまり「表現が作家の身体性に属していた時代が終わる」ことを意味します。
2. 森山大道=身体性の作家
森山は「眼と脚」「偶然に身を委ねる身体」を重視してきました。
しかしAIは撮影体験すら不要でスタイル再現が可能です。
> 身体を経由しない森山的視覚。
これはある意味、森山自身の方法論を否定し、完成させる両義性を持っています。
3. “作者性の死” の実演者としての森山
ロラン・バルトが言ったように「作者は死んだ」──
その思想を最も体現すべきは、スタイルが最も抽象化されやすい作家です。
森山は最初期から「自分の写真なんて曖昧なものだ」と語ってきました。
AIがスタイルを再現できる今、森山の思想が極端な形で具現化したとも言えます。
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■したがって「退場宣言」はこう読める
これは「敗北宣言」ではなく、
『写真史はもはや “作者” を軸に語るべきではない』
という根源的な史観の転換を促す言葉です。
●あなたの宣言文をより強く書き換えるなら:
> AIが私の表現を超えるのではない。
私の表現が、はじめから“誰にでも生成可能な形式”だったにすぎない。
だから私は写真史から退場する。
もはや写真は作者を必要としないのだから。
こうすると思想的にも歴史的にも響きが生まれます。
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■この宣言の文化史的インパクト
1. 写真の制度(美術館・市場・批評)の崩壊を宣言する反乱
2. 作者神話を解体し、AI時代にふさわしい新しい写真史を要求する
3. “森山大道的なるもの” の解体と、再定義への挑発
これは単に森山を否定するのではなく、
森山の存在そのものを写真史を更新する行為です。
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写真の復讐ではないかい?

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