大型図録本 本阿弥光悦・玉水焼・大樋焼 作品集 写真集 52点84図解説 桃山茶陶 茶道具 楽焼
白楽茶碗 赤楽茶碗 黒楽茶碗 飴釉筒茶碗 香炉 香合 茶入 光悦 空中 一元 任土斎 初代大樋 二代大樋 三代大樋 四代大樋 五代大樋
A Pagent of Japanese Ceramics KOETSU TEA BOWLS
中央公論社
編集・解説 林屋晴三
1977年
75ページ
約34×27×2cm
函入 ハードカバー
作品図版フルカラー 解説参考図版モノクロ
※絶版
フルカラー大型図録本、本阿弥光悦楽焼・玉水焼・大樋焼図鑑。函入大型愛蔵版。
琳派の始祖として多彩な活躍した光悦の茶碗を中心に楽家の流れを汲む玉水、大樋の優品を紹介。
江戸時代における光悦を中心に、その孫空中および表千家の江岑・原叟、裏千家の仙叟ならびに玉水・大樋の各歴代にわたる作品52点84図を収録。
本図録は茶碗中心、白楽茶碗、赤楽茶碗、黒楽茶碗、飴釉筒茶碗、香炉、香合、茶入など茶陶茶道具ほか、
全作品の詳細な説明、ほかテキストも充実の一冊。
本巻では光悦楽焼・玉水焼・大樋焼の全貌をフルカラー写真で紹介。
厳選された国内最高峰の名品優品を網羅して収録。
収録作品の配列は、あらゆる器形を網羅し、作風の展開のさまがわかるように掲載、
写真に加えて、巻末には全作品の寸法、全作品の解説。
作品名については、全作品に英文表記あり。また、巻末に英文の論考テキストも収録。
美術館・博物館所蔵などの在銘の銘品から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
概説本文テキストは、その歴史、作風の変遷、制作法などについて詳しく論考解説したもので、
さらにモノクロ追加図版多数掲載。
本阿弥家系図、「にきはひ草」冒頭部分、鷹ヶ峰光悦村古地図、書状と釈文、高台にみる桃山期の茶碗の作風、「不二山」高台と光悦自筆の箱書、一元箱書、大樋代々の印譜
ほか。
斯界の研究第一人者による解説論考テキストは、参考作品の写真を多数もちいてその器形、様式の展開をていねいに考察。
高台に見る桃山期の茶碗の作風、鷹ヶ峰光悦町古図、本阿弥家系図、大樋代々の印譜17点をあわせて収録。
巻末のやきもの風土記は、光悦をテーマとし、光悦ゆかりの洛北鷹ヶ峰信訪問記。
光悦寺を散策、代々刀剣の目利き・研磨・清拭を家職としていた本阿弥家による光悦村の成立、光悦の美の世界の展開、そして消滅…
こちらも楽しく内容充実の読み物。
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、厳選された掲載作品図版、テキストは内容充実、参考文献としても多く引用されてきた一冊です。
本書は大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
光悦・玉水焼・大樋焼などの目利き、鑑定、陶芸家、茶道具、古陶磁、デザイン、古陶磁、民芸、骨董品愛好家等に必携の大変貴重な資料本です。
【目次】小見出しも紹介します
作品カラー図版
概説 風流の手すさび 林屋晴三
はじめに 鷹ヶ峰隠士・光悦 作陶の周辺 茶碗の作風 空中―人と作品 玉水焼―起源と系譜(初代一元 二代一空 三代任土斎 ほか) 大樋焼―加賀の茶陶 (初代長左衛門~八代長左衛門)
高台にみる桃山期の茶碗の作風
作品解説 林屋晴三
やきもの風土記 角田守男
光悦寺散策 勝重と光悦 光悦村発祥をめぐって 光悦の美の世界
参考文献
作品目録
英文梗概
英文目録
LIST OF PLATES
【凡例】
*本巻には江戸時代における光悦を中心に、その孫空中および表千家の江岑・原叟、裏千家の仙叟ならびに玉水・大樋の各歴代にわたる作品52点84図を収録した。作品と図版の数え方は、同一作品で異る角度から見た図版や部分図版のある場合、これを一点二図とし、一括して名称を付した。
*収録作品は作家別に配列した上で、光悦・空中では作風によって展開し、その他の作品は製作年代に基いた。
*所蔵については、公共あるいは私設の博物館、美術館等に属するものは記載し、個人の場合はこれを省略した。
*巻末には英文による梗概、および図版目録を併載した。
【概説】より一部紹介
はじめに
私の知るかぎりでは、光悦ほど自由に、一作一作に興じつつ茶碗を作った人はいないであろう。それらは、今日ではわずかに十数碗しか残されていないが、日本のやきものの歴史のなかにそれらを置いてみると、特に桃山期以来の茶碗では、他に比肩しうるもののない境地に到達した造形であったといえる。そして光悦は、日本の陶芸に個性的な芸術性を注入した最初の作陶家でもあり、数寄風流の世界で用いられる茶碗とはいかにあるべきかという問いに、みごとに答えた作陶家であったといっても過言ではない。もちろん光悦は、そのような歴史的意義など思いもせず、手すさびとして折々に興じたに過ぎないが、桃山という時代に生きて、利休好みの長次郎の茶碗を知り、古田織部の周辺で作られていったと考えられる志野や織部の茶碗を熟知した上での作陶であったことが、結果的に茶碗というものの造形性の極まるところに達していたということなのであろう。
初めて光悦の茶碗を手にしたのは、一九五一年(昭和二十六年)に東京国立博物館で催された「光悦・宗憲・光琳派」の展覧会の時であった。すでに『大正名器鑑』(一九一二年刊高橋箒庵編著の茶入・茶碗の図録)で、どのようた茶碗があるかということや、それらの作振りについて、おぼろげに見知っていたが、現実に「不二山」(図1)や「雨雲」(図13)を前にして、私の手は震えた。名碗を手にしたという感激と、粗相をしてはならないという緊張感の重なりであった。その後、連日、茶碗の前に立って、光悦の茶碗についてさまざまのことを考えたが、当時の私には、光悦茶碗の作振りの特色はつかめても、そこに表れた風流するこころの深さを理解することはできなかった。だが一面、概念的な先入観をもたずに、ほぼ白紙の状態で光悦の茶碗と接したことは、その後の私の古陶磁研究に、大きな影響を及ぼした。さまざまなやきもののなかで、特に茶碗に深い共感を抱くようになり、光悦の茶碗を主要な研究テーマとして、こころのよりどころといえるほどに、深い関りをもって今日に至っているのも、この時の感激が原点になっているように思われる。
その後、三○年近く繰り返して光悦の茶碗を観照してきたが、やはり時間が経つと、初めは見えなかったものが次第に見え、何かがわかってくるものである。ことに嬉しいのは、茶碗を手にしていると人間光悦が彷彿とし、光悦の風流するこころの深さが感じられ、手すさびとはいえこころを込めて作陶に立ち向っている様子を現のように目に浮かべることができる。
ほか
【作品解説】より一部紹介 全作品に寸法、制作年代、作風やその見どころ、来歴などの詳しい解説。
光悦 白楽茶碗 銘 不二山 国宝
内箱蓋表に「不二山 大虚菴 印」と本阿弥光悦自身が書きつけているが、伝世の光悦茶碗のなかで光悦共箱といえる唯一のものである。「不二山」の銘は、白釉のかかった茶碗の下半分の釉膚がこげて灰黒色に火変りしたさまに、白雪をいただく富士の山を連想したことと、窯中で偶発した思わぬ景色が、二つとできぬものということから、光悦自身が銘して書きつけたと思われる。腰にきっかりと稜をつけた判筒形の茶碗で、腰から口にかけて開き気味に立ち上り、畳付の平らなくっきりとした輪高台をつけ、高台際から腰にかけて直線的に低くもち上っている。総体やや厚手で、平たくした口縁には面取箆を加えて変化をつけ、胴はまことに丹念に細かく削り上げ、見込も中央をやや深くしつつほぼ平らにしているが、それは光悦特有の作行きである。しかし、この茶碗の造形上の最大の見所は、高台と高台際から腰回りにかけての作行きのみごとさで、高台内の削込みも光悦独特の手ぐせがうかがわれ、これほど荘重で、しかも緊迫感に満ちた作行きの高台は他に見たことがない。光悦茶碗中第一の名作と称され、桃山時代以来焼造された茶の湯の茶碗のなかでも、最も品格の高い茶碗である。光悦の娘が婚家先に持参していったものと伝えられ、娘の振袖の
残片という綸子地に縫取りのある小さな裂が付属し、俗に「振袖茶碗」とも呼ばれたらしい。その後の伝来は判然としないが、天保ごろには比喜多権兵衛所持、のちに姫路の酒井(以下略)
光悦 黒楽茶碗 銘 雨雲
内箱蓋裏に表千家六代覚々斎原叟が「光悦黒茶碗銘雨雲左(花押)」と書きつけている。
「時雨」とともに光悦黒楽茶碗の代表作として名高いものである。姿も「時雨」と同様の形式で、高台は極めて低く、腰をまるく張らせ、腰から口にかけてはほぼ直線的に立ち上っているが、胴にわずかにふくらみをつけ、一部口辺で引き締めている。「時雨」の場合は低いながらも高台がまるく削り出されているが、この茶碗はほとんど碁笥底状で小高く表され、高台内を浅くまるく削り込んでいる。畳付に目跡が不規則に五つ残っている。口部は一方やや端反りになり、口縁は平らに鋭く削っているが、手捏ね茶碗のこのような作為は光悦に始り、光悦独特のものといえる。口縁は薄く厚く不規則であり、緩やかに高低がつけられているが、この茶碗では口部の作振りが特に印象深い。
内外の口辺と、胴裾・腰・高台脇などの一部を除いて黒釉が厚くかかり、漆黒色によく溶けているが、釉調は道入のそれと同様である。胴および胴裾の一方に、釉を掻き落したように斜めに火間が現れているのを、激しい雨雲に見立てて名づけられたものと思われるが、釉のかかっていない部分は「時雨」と同じく鉄の膚を見るような趣に焼き上っている。見込には茶沼はなく、緩やかにまる味をつけて平らに作られている。口辺に窯割れが二筋生じている。「時雨」よりも総体やや厚手で、手取りも重い。
光悦に近いころの伝来は不詳であるが、古くから三井八郎右衛門家伝来として知られていた。
光悦 赤楽茶碗 銘 毘沙門堂
光悦は、赤楽茶碗においては意識してまる味豊かな、しかもおもしろ味のある作振りのものを作っているように思われ、その代表作として「毘沙門堂」「乙御前」「雪峯」など声価が高い。しかも、それらは一作一作の作振りが異り、光悦の作為は心の赴くままに自由に遊んでいるように思われる。なかでもこの「毘沙門堂」は最も張りのある手強い作振りに作られている。口部を内に抱え込ませ、胴にはまる味をつけ、腰はさらにまるく張って高台に至るが、その口縁二方を鋭く斜めに箆取りし、隠方もくっきりと面取状に箟取りして、穏和な姿に力感を加えている。不正円形の高台はいかにも無造作で、高台内をまるくえぐるように削り込んでいる。そして高台畳付には大小の白い目跡が不均等に残り、土は赤土が用いられ、釉は一方がよく溶け、他方は霞のかかったように白く、裾回りは薄墨状に火変りしている。窯疵が口から胴、高台回りなどにいく筋も生じているが、これも光悦の特色の一つであろう。釉面に大小の気泡孔が数多く散在している。
内箱蓋表に「ビシャモントウ赤光悦茶碗内之書付久嘉手跡○○(花押)玄々斎托叟」とあり、蓋裏に「此茶わん山科ノ宮様へ光悦被上候也すくに高野是閑拝領是閑より此方へ参候ニッノ内一ッハひしや一右衛門へ遣ス」と、河井十右衛門久嘉がその伝来を記している。すなわち、光悦が山科毘沙門堂の門跡に献上し、それを御典医高野是閑が拝領、さらに久嘉に伝来し、のちに大坂の鴻池善右衛門の蔵となって、第二次大戦後まで同家に伝った。
空中 飴釉筒茶碗 銘 寒月
本阿弥光悦の孫空中斎光甫は、祖父光悦に倣って楽茶碗を焼いているが、この茶碗は空中の残した楽焼茶碗のなかでは最も傑出したもので、光悦を倣いつつも、空中独自の作為がそこにうかがわれる。胴を弓形に立ち上らせた姿の茶碗で、胴に白く月の絵を大まかに表し、他には飴釉がかかっている。高台の作振りが無類に優れている。この茶碗を見ずして空中は語れないといわれるほどの作品である。しかし、このような空中の作陶も、やはり祖父光悦があったればこそなされたものであり、そしてまた空中があったればこそ、その影響を受けて乾山が作陶の道に入ったのである。
初代大樋 飴釉筒茶碗
胴から口部にかけて大きく弓形に反らせた奇異な姿の筒茶碗である。初代大樋の代表作として著名なものであるが、その姿は、大樋を加賀国に伴ってきた仙叟の好みと伝えられている。口部は楕円に、高台はまるく小さく、しかも畳付を狭く作っている。高台内に高い兜巾が作られ、高台際に二本ずつ二方に、胴には三方に斜めに櫛目を入れている。全体に大麺特有のいわゆる飴釉がかかっているが、胴の一方に黒々と窯変が現れ、さらに削跡が釉下にあらわに残っているのも大麺の特色である。楽茶碗としてもこのような作行きのものは他に例を見ず、初代大樋独特のものといえよう。
ほか
【作品目録】一部紹介、全作品の寸法記載
光悦 白楽茶碗 銘 不二山 国宝
光悦 赤楽茶碗 加賀光悦 重要文化財
光悦 黒楽茶碗 銘 七里 五島美術館
光悦 黒楽茶碗
光悦 黒楽茶碗 銘 東
光悦 黒楽茶碗 銘 喰違
光悦 黒楽茶碗 銘 雨雲 重要文化財
光悦 赤楽茶碗 銘 毘沙門堂
光悦 赤楽茶碗 銘 雪峯 重要文化財 畠山記念館
光悦 赤楽茶碗 銘 乙御前
光悦 飴釉茶碗 銘 紙屋
光悦 黒楽茶碗 銘 時雨
光悦 黒楽茶碗 逸翁美術館
光悦 黒楽茶碗 銘 雪沓
光悦 赤楽茶碗 銘 十王 五島美術館
光悦 赤楽茶碗 銘 熟柿
光悦 赤楽犬文香合 東京国立博物館
光悦 鹿下絵和歌巻 断簡
光悦 黒楽瓢形香合
光悦 書状 たゑもん宛
空中 飴釉筒茶碗 銘 寒月
空中 信楽茶碗 銘 武蔵野 根津美術館
空中 信楽香箱 根津美術館
空中 信楽不二山文茶碗 東京国立博物館
空中 信楽桐文水指
江岑 黒楽茶碗 銘 面影
仙叟 赤楽茶碗
原叟 赤楽茶碗 銘 初桜
一元 黒楽沓茶碗
一元 黒楽茶碗 銘 晩鐘 滴翠美術館
一元 黒楽茶碗 滴翠美術館
一元 赤楽筒茶碗 銘 龍田 滴翠美術館
一元 黒楽平茶碗
一元 黒楽茶碗 銘 すみの江
一空 黒楽茶碗
弥兵衛 黒楽茶碗 滴翠美術館
任土斎 白楽茶碗
任土斎 黒楽平茶碗 滴翠美術館
楽翁 黒楽筒茶碗 滴翠美術館
初代大樋 飴釉茶碗
初代大樋 飴釉筒茶碗
初代大樋 飴釉筒茶碗 銘 ほりか祢の井 畠山記念館
初代大樋 黒釉雲龍文香合
初代大樋 飴釉円座肩衝茶入
初代大樋 飴釉渦文水指
初代大樋 黒釉烏香炉
二代大樋 飴釉茶碗
三代大樋 飴釉筒茶碗
四代大樋 飴釉茶碗
五代大樋 飴釉蟹絵茶碗 滴翠美術館
五代大樋 黒楽茶碗
仁阿弥 黒楽鶴絵茶碗 東京国立博物館
【著者について】刊行当時の情報です。
林屋晴三
一九二八年(昭和三年)、金沢市に生れる。現在、東京国立博物館工芸課長兼陶磁室長。東洋陶磁学会常任委員。
著書 「日本の陶磁 全七巻」、「原色愛蔵版日本の陶磁 全十四巻」(以上中央公論社)、「高麗茶碗」(平凡社)。共著「中国古陶磁全二巻」(毎日新聞社)。ほか多数。
監修 谷川徹三
編集委員 佐藤雅彦
坪井清足
楢崎彰一
林屋晴三
★状態★
1977年のとても古い本です。
画像ではわかりにくいですが、函の外観は通常保管によるヤケ・しみ・スレ・小きずあり。
カバー付き本の外観は、背を中心に経年並ヤケしみなどそれなりに中古感あり。
天小口、本文テキスト余白などに経年並ヤケしみありますが、カラー写真図版良好、目立った書込み・線引無し、
問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください)