畦地梅太郎
Umetaro AZECHI
1902年愛媛県北宇和郡二名村(現在の三間町)に生まれる。
1920年上京し、油彩を自習、やがて24歳のときに鉛板を版材として制作した版画が平塚運一に高く評価され、本格的な創作活動に入る。平塚運一の指導、恩地孝四郎の影響を受けながら、初期の作品は関東大震災後、近代的に様変わってゆく都市の風景を描き、その後、故郷・伊予の風景作品を制作するなかで、山の創作のテーマに定める。
50歳のときに畦地版画を代表するイメージである「山男」が作品に登場、この「山男」のシリーズにより、畦地の作品は山を愛する多くの人々の共感と支持を得ることになる。
1927年日本創作版画協会展初出品以後、国画会展、日本版画協会展、日本国際美術展、東京国際版画ビエンナーレ展、ルガノ国際版画展など海外出品も多い。
1999年肺炎のため死去。
経歴
1902年12月28日 - 愛媛県北宇和郡二名村(現・宇和島市三間町)に生まれる。
1920年 - 愛媛県より上京。
1926年 - 内閣印刷局に入る。
1927年 - 日本創作版画協会第7回展に出品し入選。内閣印刷局辞職、版画家となる決心をする。
平塚運一、恩地孝四郎に師事。
1932年 - 日本版画協会会員となる。
1944年 - 国画会会員となる(1971年に退会)。東北アジア文化振興会勤務のため単身赴任した
満州国新京(現・長春)を題材とした版画集「満洲」を出版。
1949年 - 日本山岳協会会員となる。
1953年 - 第2回サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品。
1956年 - 第4回スイス・ルガノ国際版画ビエンナーレに日本代表として出品。
1971年 - 「頂上の小屋」「涸沢の小屋」など5点が宮内庁買い上げとなる。
1976年 - 日本版画協会名誉会員となる。
1985年 - 愛媛県教育文化賞・愛媛新聞賞受賞。
1986年 - 三間町名誉町民となる。
1996年 - 町田市名誉市民となる。
1999年 - 96歳で逝去。
2003年 - 三間町(当時)に畦地梅太郎記念美術館がオープン。
今でも人気が高い畔地梅太郎の大変希少な木版画です。倉庫縮小に伴う出品ですので、ぜひこの機会にお求めください。
こちらの商品は現品限りでございます。
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畦地梅太郎
「山の窓」 1968年 77/150
商品番号 k-hm-11km-az-68
価格 180,000円 (税込)
サイズ 画面 縦 約 52cm 横 約 42cm
額 縦 約 75.5cm 横 約 57.2cm 厚さ 約 2.5cm
付属品 額 マット 黄袋 ダンボール挿箱 しおり
原産地 日本製(東京都)
商品の特徴 手彫木版画、古美術品(1975年製作)
経年による少々の焼け、多少のシミがございます。
こちらの作品は古物扱いとなります。美術品、絵画等に理解のある方以外お薦め致しません。画像をご覧の上ご不明の点はご質問下さい。
数 量 こちらの商品は現品限りでございます。
注 意 充分注意して撮影等しておりますが、お使いのモニターによっては色が違って見える場合があります。