あなたは知っていましたか?
日本にも戦前、CIAのような組織があったということを…
CIAとは、スパイ組織です。
映画のような話ですが、
実は現在の日本以外の国は普通にスパイ組織を政府が抱えています。
そして、それは戦前の日本も同じだったのです。
他国にあるようなスパイ組織が、戦前日本にも存在し、対外情報を収集、分析していたのです。
しかし現在、日本にはこのような組織は機能していません。
そのため、現在の日本は知らない間に、スパイ天国となっている状態です。
戦前、このスパイ組織である情報機関の幹部を務める男は、当時の研究結果を、ある一冊の書籍に書き残しました。
それは、当時のドイツやイギリス、アメリカ等の戦況が細かく分析されたものでした。
ですが戦後、この書籍はパタリと私たちが目にすることはなくなったのです。
それもそのはず…
この男の書籍は戦後、GHQによって消されていたのです。
一体、何が書かれていたのでしょうか?
GHQ側にとって消したいほど不都合な真実とは何だったのでしょうか?
この度、この男が残した一冊の書籍を、復刻しました。
戦前日本を代表するインテリジェンスな男の正体
日米開戦の約10ヶ月前…
日本国内は、大本営による言論統制が徐々に熾烈を極めていました。
そのような中、情報官の男が怒りで真っ赤になった顔面で軍刀を掴み、中央公論社の社長に叱責しました。
「中央公論社は、ただいまからでもぶっつぶしてみせる」
この男こそが情報官の幹部。
戦後、言論界の独裁者と言われ、戦前の悪玉の権化として徹底的に弾圧された男です。
戦後教えられた歴史によれば、彼のような男は非難されて当然かもしれません。
しかし、
彼の生い立ちから軍隊での様子、戦時中の活動を見ていくと、
実態は、このような悪評からほど遠いことがわかってくるのです。
錯綜する悪評の真相
1919年12月1日、男は茨城県で生まれ、貧しい農家の養子となりました。
高等小学校を卒業後、一家を支えるため小作人となりましたが「平等社会の実現」に対して熱い想いを持っており、陸軍士官学校への入学の夢を諦められずにいたのです。
しかし、実質的に一家の農作業を支える男がいなくなれば、この一家は最低基準の生活さえ維持できなくなってしまう…
養父に進学の希望も伝えるも、このような状況から即座に断られます。
しかし、男は諦めませんでした。
農作業の後、日暮れと同時に机へ向かい勉学に専念し、独学で英語を学ぶ…
付き合いが悪いと村の同輩から言われても、ひたすら農作業と勉学に励む日々…
このような並大抵ならない努力の結果、同級生よりも7年ほど遅れて陸軍士官学校への入学という夢を実現させます。
その後も「公平な社会」の実現に対する情熱は冷めることなく、軍務の傍ら時間や生活費を削ってまで日本大学で倫理学、東京帝国大学で教育学を学ぶほど勉強熱心で真面目な人物だったのです。
そして、情報局情報官として従事し、新聞や雑誌を通して戦前日本を指導していくこととなります。
時代は大東亜戦争の目前…
男は情報官として、日本が自国やアジアを守っていくために、
・第一次世界大戦以降のアメリカ、イギリス、フランス等の白人国が、アジア・太平洋をどの様に侵略していったのか、
・ドイツが第一次世界大戦で敗北後、ベルサイユ条約で制限される中どのようにして国力を上げていったのか、
といったような、他国の軍事力や経済、文化等を綿密に分析し国家形成の在り方を研究していました。
このようにして、日本やアジアの行く末について、幼少期から蓄積された知識を活かし、最善の道へ日本を導こうとしていたのです。
人質を見つけたマスコミ業界
このような真面目な男の半生に、一体なぜ悪評が付きまとうのか?
その犯人は、マスコミでした。
戦後、掌をひっくり返したかのように、この男を叩き出したのです。
戦前、戦中のマスコミは、戦争を煽るような記事により収益を得ていました。
そのため、配給制だった用紙を確保するため、情報官の男によく接待を行なっていました。
つまり弾圧されるどころか積極的に、戦争を煽るような記事を出版していたのです。
しかし戦後、突然、平和主義者に変貌しこれまでの主張を覆したのです。
「政府や軍隊が一方的にマスメディアを押さえつけ、一定の方向に論調が誘導されていた…」
このような論調で軍事批判を行うために、ターゲットとなる人物が必要でした。
そこで、自らの後ろめたい過去を隠すためのスケープゴートに、最適な存在として浮かび上がってきたのが、この男だったのです。
戦後、メディアとの接触を断ち切っていた男は、反論もしてこない絶好の標的だったのです。
そこで、
・『風にそよぐ葦』という小説で、この男をイメージとした粗野で無教養な軍人が、良心的な文化人を罵倒し恫喝するさまを描かれていたり…
・「殴打された」と日本の教育実践家の国分一太郎が嘘の証言をしたり…
・「言論界の小ヒムラー」と『日本評論』の編集部にいた美作太郎に名付けられたり…
事実とかけ離れた悪評が伝えられるようになっていったのです。
GHQはなぜ、無名な軍人を消したかったのか?
ここまで聞いていかがでしたか?
このように、真面目に生きた先人が戦後の日本では次々と弾圧されてきました。
当時、日本には800万人以上の軍人がいて、その多くが公職追放等で言論の場を失いました。
その空いた席に反日勢力の人たちが入ってくることで、
真面目な人たちは黙して、世間に真実を知られないまま死んでいったのです…
そうした真面目な男の本を復刻したのがこの一冊です。
男は、大東亜戦争を目前に日本はどのような国家を形成していくべきか、どのようにして自国やアジアを守っていくべきか…
このようなことを、研究していた知識人だったのです。
その証拠に、彼の著書は戦後、GHQによって焚書されることとなりました。
彼の著書にはGHQにとって都合の悪い真実が隠されていたのです。
一体、どのようなことが書かれていたのでしょうか?
例えば…
“我々は今日戦争しているが、それは何のためか。言うまでもなく東亜に根を張って、東亜の富を吸収しては本国に送り付け、東亜を永久に自分たちの搾取場としようとしている諸外国の手を封じ、東亜の富は東亜の富にしておこう、これによって東亜の人民全体が共同に栄えて行こうとするために戦っているのである。”p.36
(訳)
私たち日本人の戦争目的は、決して欧米列強が行なっているような搾取的な植民地支配をするためではない。アジアを植民地支配し、搾取しようとしている欧米列強に対して、アジアが一つとなって立ち向かうための戦争なのである。
“米国が現在までの国防力をもってしては、仮に東亜に対して武力干渉を行い得ないとしても、米国が翻然として東亜新秩序建設に協力する態度を示すということは到底期待することは出来ないのである。それは米国にとっては、中南米の資源や利権より政治的には東亜における権益の方がずっと重要性を持っているからである。”p.94
(訳)
アメリカは現状の国防では日本との勝算が確信できず、攻撃できないとしても日本のアジアに対する考え方を理解し、協力することはない。なぜならば、アメリカにとってアジアの資源は捨てられないほど有益なものだからである。
“我が国の東亜共栄圏建設は、彼らの民族生活を脅かすものではなく、むしろこの共栄圏を通じてのみ彼らの民族生活が実現されるような方向をとることが肝要である。単に政治的経済的にとどまらず民族的、文化的連帯を完成することが常に考えられていなければならない(中略)たとえ、経済力、文化は低くともその本能的なものにまで高まった民族独立の要求は、これを認め、その健全なる発達を助成してやらなければならぬ。これが我々の任務である。”p.232,p.233
(訳)
大東亜共栄圏とは、アジアの住民たちの生活を維持することが目的である。日本はアジアの国が経済的、文化的に発展を遂げ、独立を願う場合にはその意思を尊重する必要がある。これが日本の責務である。
“彼ら(蒋政権)は民族の自主性を強調して日本の真意を解さず盛んに抗戦しているが、その結果うまい汁を英米に吸わせているのである。英米はアジアが一つになるのが恐ろしい。それであるから、いつまでも自主主義を宣伝して相争わせておこうとするのである。”p.236
(訳)
イギリス、アメリカはアジアが一つになることを恐れている。そのため、蒋介石を利用して自分たちを正当化して日本と戦わせようとしているのである。
これらは、GHQが知られたくなかったと考える節の本の一部に過ぎません。
今は戦後77年です。
当時のことを知っている人は少なくなりました。
私たちのおじいちゃんや先人たちが何を考えていたのかを直接聞ける機会は少なくなりました。
そして私たちは焚書をされたことで当時の日本がどんな状況でなぜ、戦争へと進んでいったのか、先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか、いまの日本人に何を残したかったのか、当時はどんな苦難があったのかを知ることは難しくなりました。
それこそがアメリカ、GHQが意図していたことだったのです…
この男は、英米からアジアをどのように守り、発展させようとしたのでしょうか?
この答えを導き出していて、日本にはできると見抜いていたのです。
この本を読み進めていくことで、戦前までの日本人が当たり前に学んでいた歴史の真実を知り、私たちが受けてきた戦後教育がいかに歪められたものだったのかを認識することができるはずです。
戦後GHQによって葬られてしまった日本人の根幹を知り、その根幹をあなた自身の中にも発見する感覚を、ぜひ味わってみてください。