NHK人気番組 日本古典文学講読
源氏物語 更級日記 蜻蛉日記 土佐日記 堤中納言物語
定価:134750円 CD全70枚揃 解説書付
人気廃盤!! 未開封多数!!
古典講読は、古典文学の魅力あふれる世界を、ていねいな「解説」と「朗読」で読み解いていくNHK名番組です。古典文学の魅力を存分に語り、いまを生き抜くヒントに満ちた古典文学の世界へようこそ!
「源氏物語」CD全60枚揃
講師:鈴木一雄 朗読:白坂道子
愛され続けて千有余年、日本最高最大のロマン、雄大な大長編ドラマ。「源氏」が現代に甦る!!日本人なら一生に一度は読みたいこの物語を朗読と解説講義で。
◎平安中期の煌びやかな宮廷を舞台に、貴族の理想像ともいえる主人公・光源氏の誕生から波乱に満ちた青年期、そしてその晩年、死?まで…多くの女性たちとの機微にあふれた愛の物語を柱に繰り広げられる大絵巻『源氏物語』。作者・紫式部の筆致は細やかな表現でありながらもドラマチックに大きな展開を見せてくれます。
◎世界の多くの国で翻訳され、また名現代語訳も幾つも上梓されている日本文学の最高峰「源氏物語」を原文朗読と懇切丁寧な解説講義でお楽しみいただけます。
◎解説書にはCDに収録したすべての原文を掲載。耳からだけでなく目からも「源氏」を学びたい人にもお薦めです。
◎繰り返しお楽しみいただけるよう「原文朗読」と「解説講義」部分のトラックを分けてCDに収録しています。
「更級日記」CD全2枚揃
講師:三田村雅子 朗読:加賀美幸子
『更級日記』は、平安時代中期頃に書かれた回想録。作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女・菅原孝標女。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母である。夫の死を悲しんで書いたといわれている。作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている。全1巻。『蜻蛉日記』『紫式部日記』などと並ぶ平安女流日記文学の代表作の一に数えられる。江戸時代には広く流通して読まれた。
「土佐日記」CD全2枚揃
講師:木村正中 朗読: 中西妙子
日本文学史上、おそらく初めての日記文学である。紀行文に近い要素をもっており、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけての時期、貫之(つらゆき)は土佐国に国司として赴任していた。その任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を、書き手を女性に仮託し、ほとんどを仮名で日記風に綴った作品である。主題は単一ではなく、親子の情・国司の望郷と孤独感・歌論・紀氏の士族意識などが指摘される。女性に仮託した理由については、男性官人が仮名文で書いたため、諧謔風刺のための韜晦、公的身分を離れて私的感情を開陳するためなどの諸説がある。57首の和歌を含む内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである
「蜻蛉日記」CD全4枚揃
講師:木村正中 朗読:幸田弘子
夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事がある。藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。
歌人との交流についても書いており、掲載の和歌は261首。なかでも「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は百人一首にとられている。女流日記のさきがけとされ、『源氏物語』はじめ多くの文学に影響を与えた。また、自らの心情や経験を客観的に省察する自照文学の嚆矢ともされている。なお兼家に対する恨み言を綴ったもの、ないし復讐のための書とする学者もあるが、今西祐一郎は、兼家の和歌を多数収めているので、兼家の協力を得て書いた宣伝の書ではないかという説を唱えている。
「堤中納言物語」CD全2枚揃
講師:神野藤昭夫 朗読: 中西妙子
『堤中納言物語』は、日本の平安時代後期以降に成立した短編物語集。10編の短編物語および1編の断片からなるが、成立年代や筆者はそれぞれ異なり、遅いものは13世紀以後の作品と考えられる。概要10編中の1編「逢坂越えぬ権中納言」以外の著者・詳細な成立年代は不詳である。ただし、文永8年(1271年)成立の『風葉和歌集』に同編および「花桜折る少将(中将)」「はいずみ」「ほどほどの懸想」「貝合はせ」から歌が入集しているため、これらの物語が文永8年以前の成立であることは確認できる。10編の物語の中のいずれにも「堤中納言」という人物は登場せず、この表題が何に由来するものなのかは不明である。複数の物語をばらけないように包んでおいたため「つつみの物語」と称され、それがいつの間にか実在の堤中納言(藤原兼輔)に関連づけられて考えられた結果として堤中納言物語となったなど様々な説がある。