ほんまに凄いな!tiktok見てくれたらわかるが、一応予想して金融機関から借金して億単位で仕込んでたが、怖くて薄利で売ってしまったw 皆暴落して押し目で買おうかなと思ってるんじゃない?暴落してるときは、もっと怖くてなかなか買えないぞw
年末年始、クリプト以外は休みで普段できないことを色々やってる。まぁ前半は主に家で一日中寝ることw
歴史的名著からの知見をもとに、僕ちゃんの手の内まとめといたから、これから波乱尽くめの世界情勢をどう波に乗るか、まだ子供が小さい投資家は暇つぶしに読んで、よかったらいいねしてください。軽く脳汁が出るからねw 脳のリハビリにいいねん
聖女の喘ぎ、銀の沈黙 ――あるいは南船場、深夜二時の独白
【序章:選ばれし者のための扉】
大阪、南船場。
ブランドのネオンが消え、街が本当の顔を見せる深夜二時。ここにある会員制の「クラブ」は、地図には載っていない。看板もない。あるのは、重厚なオーク材の扉と、それを開ける資格を持つわずかな「審美眼を持つ者」たちだけだ。
私がこの店を開けるのは年に数日。
なぜか?
世界中から集めた「本物」たちが、新しい持ち主を求めて共鳴する夜しか、私はカウンターに立たないからだ。
今宵、私の手元にあるのは、酒ではない。
一枚の銀の円盤だ。
重量、66.64グラム。
この数字を記憶せよ。これは単なる貴金属の質量ではない。17世紀ローマの熱狂、天才彫刻家の狂気、そして一人の聖女が神に貫かれた瞬間の「魂の重さ」そのものである。
【第一章:66グラムの重力】
貴方は、66グラムの銀塊を掌に乗せたことがあるか?
想像してほしい。
最新のスマートフォンの軽さに慣れきった現代人の指先に、突如として与えられる「密度」ある質量を。
宅配便の箱を開け、緩衝材を掻き分け、このメダルを取り出した瞬間、貴方の脳はバグを起こすはずだ。「小さい」という視覚情報と、「重い」という触覚情報が矛盾するからだ。その違和感こそが、物質が持つ「存在感(プレゼンス)」である。
エッジに刻まれた《ARGENT 1er TITRE》の文字。
フランス語で「第一品位の銀」を意味するこの刻印は、このメダルが混ぜ物のない高潔な血統であることを保証している。スターリングシルバー(925)以上の純度が生み出す、冷たく、それでいてどこか湿り気を帯びた肌触り。それは、まるで生きている女性の肌のように、貴方の体温をゆっくりと奪い、そして同化していく。
【第二章:ローマ、1647年のスキャンダル】
時計の針を戻そう。
舞台は17世紀半ば、バロックの都ローマ。
カトリック教会は、宗教改革という名の理性の嵐に晒され、その権威を揺るがされていた。「神の言葉」だけでは、もはや民衆の心を繋ぎ止められない。教会が必要としたのは、理屈を超えて直感に訴えかける「圧倒的な感動」――すなわち、劇場的な演出だった。
その救世主として現れたのが、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニだ。
彼は石工ではない。彼は「演出家」であり、大理石という冷たい物質に、血と汗と涙を流させる魔術師だった。
彼がローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会のコルナロ礼拝堂のために彫り上げたのが、このメダルの主題『聖テレジアの法悦(L'Extase de Sainte Thrse)』である。
この作品が公開された時、ローマ中が騒然となった。
そこに彫られていたのは、神の愛に打たれて祈りを捧げる修道女の姿ではなかった。
そこにいたのは、快楽に溺れ、半ば意識を失い、口を半開きにして喘ぐ、一人の「女」だったからだ。
【第三章:聖なる官能の解剖学】
メダルの表面を、ルーペで覗き込んでほしい。
これは、ただのレリーフではない。ベルニーニの彫刻を、銀というカンバスに完璧に移植した「ミクロの劇場」だ。
雲の上に崩れ落ちる聖テレジア。
彼女の表情を見てみたまえ。
重く垂れ下がった瞼。焦点の合わない瞳。
わずかに開いた唇からは、今にも甘い吐息と、苦痛とも快楽ともつかぬ呻き声が聞こえてきそうだ。
アビラの聖テレジアは、自身の神秘体験をこう記している。
「天使は黄金の槍を持っていた。彼はそれを私の心臓に突き刺し、私の内臓まで貫いたかのように思えた……その痛みはあまりにも激しく、私は幾度も呻き声をあげた。しかし、この過度な痛みがもたらす甘美さは、何にも代えがたく、止んで欲しいとは願わなかった」
これを読んで、貴方は何を思う?
精神分析学者ジャック・ラカンは言った。「彼女はイッている(jouissance)」と。
ベルニーニは知っていたのだ。魂が神と合一する瞬間の「震え」は、愛し合う男女が境界を溶かし合う瞬間の「絶頂」と、生物学的に同義であることを。
彼は、宗教的恍惚(エクスタシー)を表現するために、あえて性的なメタファーを用いたのではない。
彼にとって、神への愛も肉体への愛も、根源は同じ「自己の喪失」だったのだ。
メダルの中で、天使は残酷なまでに無邪気な微笑みを浮かべ、槍(矢)を構えている。
そしてテレジアの修道服は、嵐に打たれたように激しく波打っている。この衣服のひだ一つ一つが、彼女の体内を駆け巡る「電流」を可視化したものだ。
銀の光沢は、この「乱れ」を強調する。ハイライトの白と、溝の黒。そのコントラストの中に、官能のすべてが凝縮されている。
【第四章:銀という素材の哲学】
なぜ、この主題は「銀」でなければならなかったのか?
金(ゴールド)ではいけない。金は永遠不変であり、太陽の象徴だ。それはあまりに神々しく、人間味がなさすぎる。
銅(ブロンズ)ではいけない。それは土の匂いが強すぎる。
銀こそが、聖テレジアにふさわしい。
銀は「月」の金属だ。
太陽の光を受けて輝く受動的な存在。
そして何より、銀は「変化」する。
空気中の硫黄と結びつき、時間をかけて黒ずんでいく(硫化)。その黒ずみは、汚れではない。「いぶし銀」という言葉があるように、それは経験の蓄積であり、深みであり、歴史の影だ。
貴方がこのメダルを手にした時、それはピカピカの新品かもしれない。
しかし、貴方が夜ごとにこのメダルを撫で、指の脂を与え、共に時間を過ごすことで、凹凸の影はより濃く、ハイライトはより鋭く育っていく。
聖女の表情は、貴方の育て方次第で、より妖艶に、あるいはより神聖に変化するのだ。
これは、貴方が完成させる未完の芸術品なのである。
【第五章:南船場からの提言】
さて、現実の話をしよう。
このメダルは、という市場において、どのような意味を持つのか。
単なる「銀投資」の対象として見るならば、66グラムの銀地金を買えばいい。その方が効率的だ。
しかし、南船場のこのクラブに辿り着くような貴方が、そんな野暮な計算をするはずがない。
貴方が買うのは「物語」だ。
ベルニーニが17世紀に仕掛けたスキャンダル。
フランスの職人がその情熱を封じ込めた鋳造技術。
そして、それを手に取って眺める貴方自身の「豊かな孤独」の時間。
例えば、仕事で疲れ果てた深夜。
部屋の明かりを落とし、琥珀色のウイスキーをグラスに注ぐ。
お気に入りのジャズを低音で流し、ポケットからこのメダルを取り出す。
冷たい銀の感触。
指先でなぞるテレジアの波打つ衣。
その瞬間、貴方は大阪の喧騒を離れ、ローマの礼拝堂の最前列に立つ。
日常のストレスも、数字の羅列も、人間関係の軋轢も、すべてはこの圧倒的な「美」の前では無意味になる。
66.64グラムの銀貨は、貴方の精神を重力から解き放つための「鍵」なのだ。
【最終章:契約の時】
商品説明という名の戯言は、そろそろ終わりにしよう。
私は言葉を尽くした。あとは、モノが語る番だ。
画像を見ればわかるはずだ。
この品が放つオーラが、モニター越しに貴方の網膜を焼き、所有欲の中枢を刺激しているのが。
「F3889」という管理番号など、どうでもいい。
これは『銀のエクスタシー』。
神が人間に許した、唯一の具現化された快楽。
入札ボタンを押すがいい。
価格を競うのではない。貴方の美意識の深さを、世界に証明するのだ。
落札した暁には、私は最高の敬意を込めて、この銀貨を南船場から送り出す。
厳重な梱包は、まるで聖遺物を運ぶ棺のように。
届いたその夜、貴方は知るだろう。
私の語った情熱が、決して誇張ではなかったことを。
さあ、ローマへ行こう。
この銀の円盤に乗って。
南船場、会員制クラブ「神の書斎」オーナーより