図録・写真解説本 不動明王像 仏教美術 密教図像 仏像 真言宗 天台宗 曼荼羅
至文堂
監修 文化庁 東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館
編集 中野玄三
1986年
約23.5x19x0.8cm
94ページ
巻頭口絵写真カラー
本文モノクロ
※絶版
本書は「不動明王像」だけにテーマを絞り、
日本の仏教における「仏像」イコノグラフィー、密教図像、密教絵画、曼荼羅初心者にもわかりやすく、
深く掘り下げた内容。
不動明王坐像、立像などの彫刻作品、密教画を中心とした図版112図を、
不動明王像、密教図像上の不動明王、不動明王像の歴史、意義、表現形式の変遷、
様式の展開などを整理分類し、多数の作例図版をもちいて解説するとともに
詳細に論考したもので、本書の図版やデータは大変貴重な資料。
表紙は、厳重秘仏・絶対秘仏として、見ることは叶わない国宝・不動明王坐像(東寺 御影堂)。
文化財の調査の際に撮影された奇跡の一枚のカラー写真です。
本文中にはモノクロで全身の画像がページいっぱいに掲載されています。
巻末には、「インドの不動明王」「不動明王Q&A」収録。
小ぶりな本で、モノクロ図版とテキスト解説文が中心でありながら、図版数は多く二段組テキスト。
この分野における最高峰の著者による解説本文、論考は、
わかりやすくも非常に専門的な内容にまで踏み込んでおり、内容充実、情報満載の研究書となるもの。
日本の密教美術・仏教美術・仏像・仏画・仏像彫刻・作品制作・古美術鑑賞に欠かせない
知識満載の大変貴重な絶版図録解説本。
モノクロ中心ですが多数の不動明王の写真が収められており、
古美術品としての仏像鑑賞はもちろん、不動明王・不動尊信仰をされる方にも役立つ内容の資料本です。
【目次】より
不動明王像
天平時代の明王像
空海と東寺講堂の不動明王
東密の仁王経法と不動明王
円仁と円珍の不動明王
十九観による不動明王の出現
青不動の時代
豪華絢爛円心様不動明王
三井寺と鳥羽僧正覚猷
絵仏師良秀の創造
最後の光芒 信海の不動明王像
日本にもたらされた仏教美術のながれ (1)
インドの不動明王 種智院大学教授 頼富本宏
不動明王の起源と原語/文献に見る後期 密教の不動明王/インドに現存する不動 明王像/ネパールの不動明王像/後期イ ンド密教の不動明王の図像的特色
不動明王Q&A
参考文献
【著者について】覚禅鈔をはじめとする密教図像の第一人者。
中野玄三(1924~2014)
京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。
京都府教育庁文化財保護課では、府下の文化財について調査研究を行う。奈良国立博物館に転職、学芸員として勧修寺本『覚禅鈔』などの密教図像研究、東寺観智院で覚鑁の著作を発見、社寺縁起絵を研究、『国宝重要文化財 仏教美術』(未完)の編集に携わる。京都国立博物館美術室長に就任。学芸員が総掛かりで準備する特別展や、個人研究の成果公開の場として重視されていた特別陳列にほぼ毎年のように携わった。特別展「十二天画像の名作」特別陳列「密教図像」特別陳列「不動明王画像の名品」特別陳列「涅槃図の名作」特別陳列「六道の絵画」開催。嵯峨美術短期大学教授、学長。府下市町村史の編纂、大覚寺聖教調査を指揮した。
1990年、「日本浄土教絵画の研究」で京大文学博士。2014年沒。
主な著書
『悔過の芸術』(法蔵館、1982年)
『日本仏教絵画研究』(法蔵館、1982年)
『日本仏教美術史研究』(思文閣出版、1984年)
『来迎図の美術』(同朋舎出版、1985年)
『日本人の動物画』(朝日新聞社、1986年)
『六道絵の研究』(淡交社、1989年)
『続日本仏教美術史研究』(思文閣出版、2006年)
『続々日本仏教美術史研究』(思文閣出版、2008年)ほか
【見出しより一部紹介】
天平時代の明王像 より
天平時代に不動明王像があったか
不動明王は「成田の不動さん」で代表されるように、庶民の間にもっとも信仰の厚い仏様である。もし仏様の人気投票でもしたら、不動はおそらく観音や地蔵を抜いて一位になることは確実であろう。その不動明王の信仰は、日本でいつごろ始まったのであろうか。
弘法大師空海(774-835)が不動明王像を請来したことは隠れもない事実だが、空海以前に日本に不動明王像があっただろうか。天平時代にも相当量の密教経典が請来されているが、不動明王を説く経典では、「大日経」と「不空羂索神変真言経」ぐらいしかなかったらしい。これらの経典に説かれている不動明王は、曼荼羅中の一尊としてのみ説かれているだけだから、天平時代に不動明王像があったと考えることはむずかしい。
五大明王
明王というのは密教独特の尊像である。不動を中心に四方に降三世(東)・軍茶利(南)・大威徳(西)・金剛夜叉(北)を配して構成される五大明王(画像の場合は五大尊と呼ぶことが多い)を見るとわかるように、体は色が青黒く不気味な童子身であるうえ、頭と手がいくつもある多面多(広)臂像で、髪を逆立て、目を怒らし、上顎から上向きの牙をむき出し、手足に蛇を巻き付け、髑髏を連ねて首飾りとする等、インドのヒンズー教の尊像とよく似た怪奇な仏像である。
降三世明王は三面各三目八臂(頭が三つ、各頭には額に縦に一目があって三目、腕が八本あること)。軍茶利明王は一面三目八臂、大威徳明王は六面各三目六臂六足、金剛夜叉明王は三面正面五目(両目が上下二重に重なり、額に縦に一目がある)左右面各三目または五目六臂で、降三世明王はヒンズー教の最高神で創造と破壊を司るシヴァ神(大自在天)とその妃を足下に踏み、大威徳明王は恐るべき水牛に乗る。各明王は多くの手に、剣・索・弓・矢・金剛杵・戈・輪宝等の武器を持って振りかざし、片足を蹴り上げ、慈悲相では容易に教化しがたい衆生を導く役目を担っている。
明王の成立
このような怪奇な明王が仏教に出現したのは、密教の成立事情にかかっている。元来、釈迦の教えは、禁欲的で呪術信仰を遠ざける傾向があったが、七世紀ごろ仏教がインドの大衆の支持を失って衰え始めたとき、起死回生を計って、インドの大衆の心に深く根を下ろしていたヒンズー教の尊像の表現法を取り入れ、新しく成立させた尊像だったのである。明王の明とは、真言、すなわち、その尊像の功徳を発揮させる不可思議な威力をもった呪文であり、明王とは、その明を司る王の意味である。
(以下略)
十九観による不動明王の出現
十九観とは
唐の影響の著しかった九世紀は、波切不動など小数の例外を除けば、おおむね両目とも開き、上の歯で下唇を噛む威厳のある不助を、東密も台密も採用し、護身仏としてよりは国家鎮護の仏としての役割を第一義としていた。しかるに、九世紀末にいたって、台密に安然があらわれ、「不助明王立印儀軌修行次第胎蔵行法」を著わして、十九観を説いた。十九観とは、不動明王を観想するために、不動の姿の特徴を十九項取り上げたものであるが、なかにはその第一「此尊は
大日の化身なり」、第二「明(真言)の中に阿路かんまんの四字あり」、第十三「行人の残食を喫す」のごとく、不動の形像を定めたものではない項もある。以下に十九観で定める不動の形像の特徴を並べてみよう。
まず頭部は、頭頂に七莎髻(莎草で結った七つの髻)あり、左に一弁髪(編んで垂らした髪)を垂らし、額に水波のごとき皺があり、左一目を閉じて右一目を開き、下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇を外へ翻出し、その囗を固く閉じる。肉身は童子形をあらわして、卑しく肥満し、体色は調伏相を示す醜い青黒色で、右手に剣を執り、左手に索を下げ、剣には不動の変身である倶利迦大竜が纒いつく。不動を恭敬する小心者の矜羯羅と、ともに語りがたき悪性の制多迦の二童子を従え、大磐石に安坐し、体全体が迦楼羅炎に囲まれ、常に火生三昧に住する。総じて、不動の姿には奮迅忿怒の相があらわれている。
十九観による不動出現の背景
このような不動明王は、すでに部分的に「大日経」を始めとする密教の(以下略)
青不動の時代
玄朝様不動明王図像の特色
玄朝は十九観による不動を図像で描いただけではなく、本格的な絹本着色画を制作したことも確かであったろう。ところが、青蓮院の青不動は十九観による不動画像としてはもっとも古く、そのうえ、醍醐寺本不動図巻中の玄朝筆不動御頭揃二使者像ときわめてよく似ている。したがって、青不動が玄朝筆である可能性もでてくるわけである。そこで以下に青不動の画風を少し詳しく検討してみよう。
玄朝が描いた不動には、(以下略)
三井寺と鳥羽僧正覚猷
三井寺の不動信仰
三井寺(園城寺)は智証大師円珍以来、不動明王信仰のメッカ的存在であった。その信仰はやがて宗派の外にまで広がっていくが、それが単に俗界だけではなく、黄不動や赤不動のごとく、他宗派にまで及ぶほどの強力な伝播力を持っていた点で、東密の不動信仰を凌駕していた。三井寺をこのように不動信仰のメッカ的存在に位置付けたのは、円珍以後、この寺に不動信仰を盛り上げることに貢献した多くの注目すべき高僧が輩出したからである。
石蔵成尋 その第一にあげられるのが、京都石蔵大雲寺の成尋であろう。成尋の「参天台五台山記」によると、彼は熱心な不動行者であり、また(以下略)
ほか
【作品解説】一部紹介
表紙 不動明王坐像(東寺 御影堂) 国宝
東寺西院御影堂に空海像と背中合せに安置されている不動明王像。「高雄曼荼羅様」を正しく継承し、その気品の高いことは不動彫像の随一といえる。空海の念持仏であった可能性 がある。
不動明王像(高雄曼荼羅の内 京都寺) 天長年間 国宝
淳和天皇の御願として制作された金銀泥絵両界曼荼羅の胎蔵曼荼羅五大院の不動明王像で、世に「高雄曼荼羅様」と称せられる。 高雄曼荼羅は現存最古の両界曼荼羅で、その制作は空海の指 導によると考えてよく、不動の姿には国家鎮護の仏としての威容がよくあらわれている。
不動明王坐像(五大明王像の内 京都 東寺) 国宝
東寺講堂五大明王像の中尊で、空海請来の現図曼荼羅と称する両界曼荼羅の胎蔵曼荼 羅五大院の不動と諸特徴を等しくし、「高雄曼荼羅様」ともいう。その悠揚迫らぬ姿に は、国家鎮護の仏にふさわしい堂々たる威容があらわれている。光背はもとは迦楼羅 炎であったろう。 クサマキの一木造像である。 承和六年(八九) 開眼。
不動明王坐像(和歌山 正智院) 重要文化財
ヒノキの一木造像で肉身に朱を塗る。頭頂に大きな蓮華を戴き、真正面を向き、両目 とも大きく開き、上の歯で下唇を噛む形相ものすごく、童子身の上半身に剣を高く捧 げ持つ姿や、弾力に満ちた膝の表現には、「高雄曼荼羅様」不動の悠揚迫らぬ姿とは異 緊迫した威圧感がある。 制作年代は九世紀にさかのぼる。
仁王経曼荼羅図(山口 浦上) 重要文化財
空海請来の不空訳 『新訳仁王経によって制作された仁王経曼荼羅で、中尊を不動明王とし、その周囲に四菩薩の三昧耶形(尊像を象徴する形)二臂の四大明王・四摂菩薩・八天等を三重に配したもの。北上として描いた息災曼荼羅で、醍醐寺で制作された中尊不動は「高雄曼荼羅様」に描かれている。鎌倉時代。
不動明王像 (五大尊像の内 京都 東寺) 国宝
毎年正月に宮中真言院で行なわれる後七日御修法の本尊となる五大 尊のうちの中尊不動明王像で、大治2年(1127) 東寺宝蔵の火炎の直 後に十二天とともに復興された画像。 仁和寺円堂後壁の五大尊が手本となった。 光背は迦楼羅炎光ではなく、渦巻炎光となる。 藤原仏画の典型と称すべき優美な作品。
不動明王二童子像 赤不動(和歌山 明王院) 重要文化財
三井寺の円珍が葛川の滝で修行中に出現した不動で、その時円珍は石に頭を打ちつけ、流れ出る血でこれを描いたと伝えている。 不動の諸特徴や三尊の構図には特殊なものがあり、円珍感得と伝える不動が高野山に伝来しているのも不思議である。おそらく、赤不動の成立には修験の徒が関係しているのであろう。鎌倉時代。
ほか
【図版目録】より一部紹介
表紙 不動明王坐像(御影堂) 東寺 教王護国寺
表紙裏 不動明王像(東寺西院両界曼荼羅の内)東寺
不動明王像 (高雄曼荼羅の内) 神護寺
不動明王坐像(五大明王像の内) 東寺
不動明王坐像 正智院
仁王経曼荼羅図 神上寺
十二天曼荼羅図 山口 国分寺
不動明王像(五大尊像の内) 東寺
不動明王像 甚目寺
不動明王像(波切不動) 南院
不動明王像(黄不動) 曼殊院
不動明王八大童子像 園城寺
不動明王二童子像(赤不動) 明王院
不動明王二童子像(降)三世様)MA美術館
玄朝様不動明王二童子図像 石山寺
不動明王二童子像(青不動) 青蓮院
黒漆蒔絵経箱(倶利迦竜文) 当麻寺奥院
不動明王二童子像 峰定寺
不動明王二童子像 願成就院
不動明王八大童子像 奈良国立博物館
制多迦童子像(八大童子像の内) 金剛峯寺
鏡弥勒像 高山寺
五大明王像(五躯の内三躯) 東寺
五大明王像(五躯の内三躯) 醍醐寺
五大明王像 大覚寺
五大明王像 不退寺
五大力菩薩像 有志八幡爾十八箇院
五大力菩薩図像(仁王経曼荼羅図像の内) スペンサーコレクション
鳥芻沙摩明王図像(鳥芻沙摩明王図像の内)
五大力菩薩像 北室院
不動明王坐像 醍醐寺三宝院
不動明王坐像(御影堂) 東寺
不動明王坐像 正智院
不動明王坐像 遍照寺
不動明王坐像 広隆寺
不動明王坐像 般舟院
不動明王二童子摩崖仏 日石寺
鉄造不動明王二童子像 大山寺
仁王経法本尊図像(五幅の内) 醍醐寺
不動明王立像 金剛峯寺
五大明王図像(別尊雑記の内) 仁和寺
仁王経曼荼羅図像
五大尊図像 醍醐寺
仁王経曼荼羅図 久米田寺
仁王経曼荼羅図 醍醐寺
大師御筆様四臂不動明王図像(不動聊巻の内) 醍醐寺
安鎮曼荼羅図像(曼荼羅集の内) MA美術館
弘法大師御筆様不動明王図像(不動図巻の内) 醍醐寺
六字経曼荼羅図
不動明王坐像 石山寺
不動明王坐像 同県院
不動明王図像(八大明王像の内) 醍醐寺
不動明王立像 神童寺
不動明王立像 円隆寺
金銅五大明王鈴 東京国立博物館
不動明王図像(胎蔵図像の内) 奈良国立博物館
降三世不動明王像(五大尊像の内) 来振寺
大日如来不動降三世両明王像 金剛寺
不動明王図像(胎蔵旧図様の内)
尊勝曼荼羅図 金剛寺
尊勝曼荼羅図 神護寺
弥勒曼荼羅図 醍醐寺
不動明王坐像 大林院
深賢筆不動明王二童子図像 醍醐寺
玄朝様不動御頭并二使者図像(不動図巻の内) 醍醐寺
四面四臂四足不動明王図像(田中本不動儀軌の内) 文化庁
四面四臂四足不動明王図像 京都国立博物館
波夷羅大将像(十二神将像の内) 興福寺
定智様不動明王二童子図像(不動図巻の内) 醍醐寺
不動明王図像(おどる不動不動図巻の内) 醍醐寺
梵天像・風天像・水天像(十二天像の内) 京都国立博物館
八葉曼荼羅図 斑鳩寺
不動明王二童子像 大林院
不動明王二童子像 忠光院
不動明王坐像 金剛峯寺
不動明王立像 聖護院
不動明王立像 円照寺
千手観音不動明王二童子毘沙門天像 峰定寺
不動明王二童子像 漕谷不動明王寺
不動明王二童子像 大分真木大堂
不動明王二童子像 滋賀西明寺
不動明王二童子像 浄瑠璃寺
不動明王二童子像 東大寺
不動明王二童子摩崖仏(熊野磨崖仏) 大分 豊後高田市
不動明王二童子像 願成就院
不動明王立像 浄楽寺
銅造不動明王立像
石造不動明王立像 不動寺
矜羯羅・恵光・烏倶婆ガ童子像(八大童子像の内) 金剛峯寺
円心様不動明王二童子像 醍醐寺
金剛夜叉明王像(五大尊像の内) 醍醐寺
矜羯羅・制多迦二童子像 フリーア美術館
不動明王二童子像 静嘉堂
不動明王三童子像 五坊寂静院
不動明王立像 金剛輪寺
五大尊像 奈良国立博物館
四面四臂不動曼荼羅図(田中本不動儀軌の内) 文化庁
御室戸僧正本不動明王二童子図像(不動図巻の内) 醍醐寺
熊野曼荼羅図 聖護院
鳥羽僧正様不動明王図像 醍醐寺
泣不動縁起 清浄華院
良秀様不動明王図像 醍醐寺
長賀筆不動明王図像 醍醐寺
不動明王二童子像 法光院
両頭愛染曼荼羅図 金剛峯寺
不動明王像(五大尊像の内)及び頭部X線写真 東寺
不動明王二童子像(五大尊像の内)醍醐寺
信海筆不動明王像 醍醐寺
不動明王二童子像 法楽寺
不動明王二童子像 瑠璃寺
不動明王三大童子五部使者像 延暦寺
伝熊野曼荼羅図 竜泉院
不動明王二童子像
裏表紙 金銅五大明王鈴 東京国立博物館