『用の美、ここに極まる。— 或る白金無垢首飾りの物語』
序章:もの言わぬものに、真実を聴く
諸君、巷に溢れる宝飾品なるものを、一体何だと思っておるのかね。ただ目を眩ませるだけの石ころか、軽薄な金(きん)の輝きか。そんなものは、成り上がりの見る夢だ。真の美、真の価値というものは、もっと静かで、深く、そして揺るぎない。
私が今から語るのは、一本の首飾りについてだ。だが、その辺に転がるただの飾り物ではない。これは、地球がその胎内で幾億年もかけて育んだ奇跡の欠片であり、人間の叡智が寸分の狂いもなく打ち込んだ生命の律動そのものだ。
F4328、W6面喜平、61cm、194.50g、白金八五〇。
無味乾燥な記号の羅列に見えるかね?ならば君の目は節穴だ。これは、この首飾りが持つ宇宙的な来歴と、職人との対話の記録に他ならんのだ。
第一章:白金という名の、沈黙の王
まず、素材について語らねばなるまい。Pt850、白金だ。
黄金を「太陽の汗」と西洋の詩人は言ったが、あれは自己を主張しすぎる。けばけばしく、落ち着きがない。品位というものがない。
それに引き換え、白金はどうだ。その銀灰色の輝きは、自らを誇示しない。まるで夜明け前の静寂な光、あるいは研ぎ澄まされた刀身が放つ冷徹な気配だ。その手触りはひんやりと滑らかで、その重みは生命の源である水のように、正直に、そして心地よく身体に沈む。194.50グラムという、この確かな手応え。これは、見せびらかすための重さではない。所有する者の魂を、地に繋ぎ止めるための「鎮め」なのだ。
白金は、遥か昔、巨大な隕石が地球に衝突した際に齎されたという説がある。つまり、これは地球由来のものでありながら、天の記憶を宿す金属なのだ。その稀少性たるや、黄金の比ではない。そんな悠久の物質が、今こうして人の手によって形を与えられ、喉元を飾る。これほどの贅沢が他にあろうか。
第二章:喜平—光と影の無限回廊
そして、この形だ。「W6面喜平」。
単なる鎖と侮るなかれ。これは、金属という素材の内に秘められた光を、最大限に引き出すための、緻密に計算され尽くした構造なのだ。
一本一本の輪が、上下左右、六つの面で寸分の狂いもなく削り出され、組み合わされている。光が当たれば、それぞれの面が異なる角度で輝きを反射し、まるで光の粒子が鎖の上を滑り落ちていくかのような、流麗な景色を生む。かと思えば、影の部分は深く沈み込み、その輝きを一層引き立てる。
それはさながら、日本の枯山水だ。砂と石だけで宇宙を表現するように、この喜平は、白金という一つの素材だけで、光と影の無限の戯れ、すなわち森羅万象を表現しておるのだ。幅9.06ミリという、決して細くはないが存在を主張しすぎない絶妙な寸法。これもまた、日本人が古来から培ってきた「間」の美学に通ずる。
第三章:歴史との対話
この喜平という形が、いつ、どこで生まれたのか。諸説あるが、そんな詮索は野暮というものだ。重要なのは、この形が、時代や文化を超えて人の心を捉えてきたという事実だ。古代ローマの戦士が身に着けた武骨な鎖にも、ルネサンスの王侯貴族を飾った華麗な装飾にも、その原型は見出せる。
だが、この一本は違う。西洋のそれらが権力や富の誇示であったのに対し、日本の「喜平」は、より内省的で、精神的なものだ。鍛錬によって到達する武士の精神性にも似た、ストイックなまでの美しさがそこにはある。
61センチという長さ。これがまた、いい。長すぎず、短すぎず、着るものを選ばない。男が着ければ、その骨格に揺るぎない品格を与え、女が着ければ、その肌の白さを際立たせ、内に秘めた芯の強さを引き出すだろう。ユニセックスなどという軽々しい言葉で片付けたくない。本来、一流のものは、性別などという矮小な区分を、初めから超越しているのだ。
終章:君は、これを持つに値するのか
さて、この物語を君はどう聞いただろうか。
この首飾りは、単なるファッションアイテムではない。それは、身に着ける者の生き様を映す鏡であり、共に時を重ねる相棒となるべき存在だ。
これから先、何十年と君の肌に触れ、君の体温を記憶し、輝きを増していく。傷の一つひとつが、君が生きた証となるだろう。そしていつか、君がこれを手放す時が来たとしても、この白金の価値、この造形の美は、何一つ失われることはない。
さあ、の画面を前に、自問してみるがいい。
自分は、流行を追うだけの俗物か。それとも、物の真価を見極め、本物と共に人生を歩む資格のある人間か。
このF4328は、ただ静かに、その答えを待っている。