20.2×12.5㎝
【題箋の表示について】
「七部集 一」は後に新しく書き直したもののようである。
「○☆七部集 △」の内「○☆」は「俳諧」と読み取れそうである。
「△」は上から「二」が書き加えられたようで、元の文字は判読できない。
「さいつ日」から序が始まるのは『俳諧七部集 子周 編』でその序は「瞽者水母散人」が記したもの「瞽者」は「盲目の人」をさし、「水母散人」は「塙保己一」の号である。
【内容】
従来の『七部集』とは趣を異にする。
七部の分類 (2丁表~3丁表)に
○冬の日 歌仙五つの巻のみにして
四季の句はなし
○春の日 歌仙三つの巻
四季の句あり
○阿羅野 四季の句 雜 名所 旅 述懐
戀 無常 釋教 神祇の句のみ
にして歌仙はなし
■
員外 歌仙十巻のみ■四季の句はなし
内半歌仙(十八句)一巻あり
○ひさご ・・・・・略・・・・・
○猿蓑 ・・・・・略・・・・・
○續猿蓑 ・・・・・略・・・・・
○炭俵 ・・・・・略・・・・・
記の類 ・・・・・略・・・・・
序題は ・・・・・略・・・・・
此たひ
四季の句を 春夏合せて天之巻
秋冬合せて地之巻
歌仙且百韻を人之巻
右三巻を以七部集となす其部へ■たる故に見安くわかりよしをむねとするのみ
つまり、大まかに言えば『七部集』に収められる各集の句を、その内容から「四季-春夏」・「四季-秋冬」・「歌仙百韻」の三つに分類し、『天・地・人』の三巻に編集し直したものと言える。
ただ、下記の二人から序と跋を書いて貰ったのは、編者子周が余程有能な人だった事は確かである。
従って、出品したものはその内の『天之巻』・『地之巻』と言うことになる。
序:瞽者水母散人(塙保己一)〈延享3(1746)~文政4(1821)〉【画像2~3、8参照】
跋:大鵬館主人(大田南畝) 〈寛延2(1749)~文政6(1823)〉【画像9参照】
【編者 子周について】不明
保己一に序を、蜀山人に跋を書いて貰うほどの人物だった事は確か。
【刊記】不明
皇都(京都) : 井筒庄兵衛、 安永3[1774]の板本が存在している。序文も跋文もいずれも上記二人のものに違いないが、出品本にはない「四角い枠」の中に記されていて、その内容は、従来の『七部集』と同様「春の日、 冬の日、 ひさこ、 猿蓑、 続猿蓑、阿羅野、曠野集員外、炭俵」にきっちりと分けられている。
【因みに】従来の『俳諧七部集』は享保(1716~1736)中ごろ佐久間柳居が定めたものだが、40年ほど後に子周編のものも「序・瞽者水母散人」( 安永3[1774])として出版されている。そして、同じ序・跋で『七部集 天・地・人 三巻』も出版されている。上記「七部の分類」に示したように「見安くわかりよしをむねとする」為である。
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、虫喰いあり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。