【目次】
<一 密教美術論>
一 仏教的美術の規定とその表現
二 顕教的表現と密教的表現
顕教と密教
顕教的表現について
密教的表現について
三 密教の芸術観
序
密教以前の芸術観
雑部密教時代の観想
正純密教の芸術観
密教的美術の特質
<二 不動明王像の研究>
一 不動明王の表現について
序
印度に於ける不動明王像
経軌に説く不動明王像
中国に於ける不動明王像
日本に於ける五大明王像
日本に於ける不動明王像
不動明王の性格とその表現の展開
二 日本に於ける不動明王像の展開
序
不動明王表現の特質
弘法大師空海請来の不動明王像
智證大師円珍感得の不動明王像
現存する貞観時代の不動明王像
藤原時代の不動明王像
鎌倉時代の不動明王像
三 不動明王像の眼の芸術的意味
三井寺藏黄不動画像について
<三 観世音菩薩三像に関する研究>
一 観世音菩薩の展開
序
法華経典と阿弥陀経典に説く観音
阿弥陀経典に説く観音の姿
陀羅尼呪経典に説く観音
十一面観世音菩薩の成立
不空羂索観世音菩薩
陀羅尼集経其他呪経に於ける観音
千手観世音菩薩
准胝観世音菩薩
如意輪観世音菩薩
馬頭観世音菩薩
不空三蔵時代の観音について
二 十一面観音の表現について
初期密教像としての十一面観音像
経軌に説く十一面観音
各地に於ける十一面観音像の造立
十一面観音の表現について
三 観心寺如意輪観音像について
<四 密教図像の研究 ―密教図像の特質とその分類―>
序
密教図像の意味
空海請来の図像
別尊図像の書寫
別尊法とその画像の集成
別尊図像集と単独の図像
むすび
附録
源仁に始まる法流系図(小野流・広沢流)
主要図像関係書著作略年表 天皇・年代和暦西暦・両界曼荼羅に関するもの(図像無し)・別尊法輯集書のうち図像を掲載せざるもの・別尊法輯集書のうち図像も共に掲載せるもの (広沢流、小野流、台密)
【各章冒頭より一部紹介】
一 仏教的美術の規定とその表現
日本の美術をみた場合、中世以前の美術作品の多くは仏教関係のものが殆んどである偽に、仏教美術という言葉が用いられている。従つてその場合に使用されている言葉は、日本でみることのできる仏像仏画に対して、即ち仏菩薩明王天部等の姿やそれ等を中心に表現した様々な図様のものをはじめとして曼荼羅浄土図、仏教的説話等を表現したものに対していわれているのである。仏教美術作品という言葉によつてこのような主題を表現する作品をさしているということは常識的には間違いではない。然しその言葉が適切なものとして考えられるためには、仏教的美術の特質が明確になされ、その意味によつて使用されたものでなければならない。今仏教美術作品と呼ばれているものの全般を眺めてみる時、そのうちの一部のものに対しては浄土教美術と呼び、又他のものに対しては密教美術という名をつけ、他の場合には顕教美術という名を用いていることもある。このように様々な名稱をもつて呼ばれるためには、それ等の作品の間に本質的に區別されるものが含まれているのであるか否かを考えてみなければならない。そして仏教的美術という言葉の意味について考えようとするならば、このような様々な言葉の意味、及びその各々の言葉の関聯についてまでも考えてみなければならない。
即ち仏教美術作品を種類わけした様々な名稱はただ主題の相異によつて便宜的につけられたものか、若しくは美術作品としてその表現の内容に於て本質的に區別し得るものがあるのか否か、その言葉を用いる以上は一應考えてみなければならない。この問題について考える順序として先ず仏教美術という言葉の意味から考えてみることとする。
ほか
二 不動明王像の研究
不動明王の表現について
序
我国の仏教美術史に於て不動明王像程に多種多様に作られて来たものは少ない。而かもその信仰は現代に迄も續いており今にその制作される機會を多くもつている。然しそれ程に多く作られて来、そして多く残されている不動明王像について論じられる場合、不動明王表現の根哲と考えられるもの及びその展開の歴史について語られている場合は少なく、多くは一般的美術史の一資料としてとりあげられるに止まっている場合が多い。不動明王の表現された作品について考えようとする場合、このように美術史的様式論の立場に於てのみ考えることだけで充分であるか否かは疑間といわざるを得ない。
不動明王像の遺品をとりあげてみるならば我国以外のものは非常に稀で、現在日本に於て我々が見ている多くのものは我国に於て日本的に展開したものと考えてよいのかも知れない。しかし仮にそうであるとする場合に於ても、不動明王の成立の地が印度である以上、その表現の歴史は中国印度に迄遡るものであり、それ等の地方で作られたものを諒解した上に於て日本のものを考えなければならない。にも拘らずそれ等の地方に於ける不動明王像の遺品はきわてめ僅少である。そのために多くの場合に殆ど問題としてとりあげられていない態である。今不動明王像について…
ほか
三 観世音菩薩像の研究
観世音菩薩の展開
序
西紀前後頃から以後、仏教はその教理の展開につれて多くの如来、多くの菩薩、明王、天等を作り出して来た。その重要な諸奪のうちの何れか一つをとりあげてみても、それの説かれている経典は多種類に亙つていて、それがいか
なる過程を経て成立し、発展して来たものかということについての詳細な研究の困難さを感じさせるほどである。今ここに述べようとする観音についても同じことがいい得る。しかし現在知られる多数の仏、菩薩の発展は無秩序に次々にと作り出されたものではない。仏教自體の思想的展開に伴なつて、又仏教を信仰する人達の宗教的要求に應じて考え出されたものでもある。かくして考え出された諸奪はその性格に感じて様々に交渉しあい、また様々に分化発展していったのである。
今ここに述べようとする観音もその成立の最初については、あるいは仏弟子の阿難を神格化したものであるともいわれているが、その間の事情については充分に明らかにされてはいない。(大正大學々報第六,七號加藤精神「文殊普賢観音弥勒の研究)しかしそれにも拘らずその成立後の展開は他の諸菩薩と比較することができない程に多彩である。そして菩薩信仰としては何れの地域に於ても最も多種多様にとりあげられ、その像が作られて来たことは誰しも認めていることの…
…したがって観音の名稱をその中にとりあげている経典や、その功徳を説いている経典は著しく多い。今その展開して来た過程を詳細に知り、詳細に論ずることは以上の如き理由によつて不可能ではあるが、その展開の概略を辿っておくことは種々の問題の解決に対するいとぐちを作っておくこととなることを考え、ここにその展開の素描を試みておくこととする。
観音の成立の過程を辿る資料として我々に興えられているものは現存する僅かな観音像の作品と大部に亘る漢譯経典である。いう迄もなく僅かに残されている観音像のみによつてその経過を辿ることはできない。従ってその他の資料としての漢譯経典を最も大きな資料として先ずとりあげなければならない。しかし経典が漢譯された時期がその経典の成立の時期でないことは云うまでもないことである。また漢譯された順序が経典の成立順序と必ずしも一致するものでもない。しかし今はそれ等についての問題にまでは遡らないこととし、経典漢譯の時期をもつて観音初出の時期と考え、またその経典漢譯の順序をもつて一應その成立の順序として考えていくこととする。
ほか
四 密教図像の研究――密教図像の特質及びその分類――
序
密教絵画史を考える場合に、その本奪として使用するために、五彩の色により完全に彩色された仏書の外に白描(若しくは淡彩の)図像をも共に重要な資料としてあげなければならないことは云う迄もないことである。殊に平安朝時代における彩色された密教絵画の現存するものの少ない現在に於ては、これら白描図像によつてのみその缺除した部分の資料を見出す方法が残されているのである。この意味に於てこれら密教図像の研究は密教絵画史上―特に平安朝時代のそれを知る上に於て―重要な部門を占めていると云うも過言ではない。
一般に密教図像と一言の下に稱されているものの中には種々のものが含まれており、その各々には制作された時と場合によつて形式上に於ても、又内容から云つても種々異なつたものが含まれている。従つてその相違によつて種々に異なつた意味をもつたものが作り出されていると云うことは當然のことである。我々が又それを資料として取扱おうとする場合に於ても、夫々に應じて異なつた見方をしなければならないと云うことも當然のことであろう。これら白描図像は密教にのみ見られるものであり他の宗派には殆んど見ることの出来ないものと云つてよいものである。これらのものが密教にのみ見ることができるものであると云うことは密教に於て信仰さ敷に互つていると云う単純な理由のみによるものではなく、もつと深い理由の下に作られ始めたのではなかろうかと考えられる。即ちこれら図像が特に密教に於て描かれ始めた理由、即ち密教に於ける図像の特質及び成立の事情を明らかにすることによつて又長年月の間に作られた図像の種類を明らかにすることとなり、ひいては図像研究に対する態度を明らかにすることが出来ることと思う。
密教図像の意味
密教に於ては大日経疏に阿闍梨の十三徳の一つとして乗綜衆芸のことを説き、能く意に従いて秘密曼荼羅を造作するを名付けて妙善梁芸と云い、曼荼羅を造作することを得るものは最上の阿闍梨となし、即ちよく無盡莊嚴の大曼荼羅を画作するものを深行の阿闍梨と名付けているのである。
又弘法大師はその御請来録の中に密教と絵画とのことに関して、密藏深文翰墨難載更假図画開示不悟種々威儀種々印契出自大悲一都成仏経疏祕略載之図像密藏之要實乎茲傳法受法弃此而誰矣海會根源斯乃當…
ほか
【再刊のことば】より
本書が出版されてから、既に十五年を経過した。そのあいだに仏教美術密教美術に対する研究は著しく進んできて、一般の美術愛好者のあいだにも密教美術の言葉は常識的に用いられるようになったほどである。仏教美術密教美術の個々の作品についての研究は、文獻や様式の分析などの面において、絶えず多くの人達によってなしつづけられてきている。それは一般美術史の研究としての問題の解明への努力である。然し仏教芸術密教芸術などと呼ばれる、云わば宗教芸術の問題としての研究は遙かに遅れていると云ってもよい。この意味において私はこの密教美術論で私の宗教芸術論の出発点としたのである。私はこの書からはじまって、その後においても、多岐にわたる多くの論文を書いてきた。
然し一方ではこの方法論を展開させ、時に應じて諸種のほとけの表現の展開をあとずけてゆくことも行ってきたつもりではある。然しその仕事はようやく緒についたばかりと云わなければならない。私はここであらためてこの書を再刊し、讀者の御批正を待ち、今後の別尊像研究の仕事に対しての參考としたいと思う次第である。
この書の再刊にあたって、寶雲第二十四册に掲載した「密教図像の研究」を新しく収めることにした。これは白描図像研究の出発点であり、その後の研究の基礎にもなったものであるため幾人かの友人のすすめによって収めることにしたのである。
この書の初版、再版の部数は合わせて一千部にもみたないものであったので、廣く御批正を乞いたいと云う私の希望をいれて、ここに再刊を快諾された便利堂に対して感謝の意を表わす次第である。
なお表紙に用いた降三世三昧耶會の曼荼羅図は私藏の仏画で鎌倉時代の金剛界曼荼羅図の一部をなしていたと推定されるものである。
昭和四十四年十月 佐和隆研
【口絵図版目次】
黄不動作図 三井寺蔵(原色版)
如意輪観音像 観心寺蔵(原色版)
不動明王像(唐代) フィールド博物館
不動明王像 東寺講堂安置
波切不動尊像 高野山南院職
不動明王図(東寺五大尊図の内) 東寺蔵
不動明王図 甚目寺蔵
赤不動尊図 明王院蔵
青不動尊図 青蓮院蔵
不動明王図(五大尊図の内) 醍醐寺蔵
不動明王像(快慶作) 醍醐寺蔵
十一面観音像(長安三年) 細川氏蔵
十一面観音図(壁畫) 法隆寺金堂
十一面観音像 法華寺蔵
十一面観音像 渡岸寺観音堂蔵
不空羂索観音図 敦煌千仏洞
不空羂索観音像 東大寺蔵
千手観音図 敦煌干仏洞
千手観音像 唐招提寺蔵
如意輪観音図 敦煌干仏洞
如意輪観音像 醍醐寺蔵
馬頭観音像 観世音寺蔵
【挿図目次】
不動明王図(造像量度経収載)
チャンダロシァナ図(バッタチャリヤ本)
不動明王像 トウラーン博物館
左劔右索不動明王図(覚禅抄)
持金剛杵不動明王図(十光一抄図)
持金剛杵宝棒不動明王図(覚禅抄)
一面四臂不動明王図(十天形像図)
四面四臂不動明王図(田中本、不動儀軌)
三面六臂不動明王図(田中本、不動儀軌)
四面四臂四足不動明王図(田中本、不動儀軌)
四面六臂不動明王図(田中本、不動儀軌)
立像不動明王図(仁王経五方諸尊図)
不動明王図(五菩薩五忿怒図像)
持寶輪不動明王図(十卷抄)
持五鈷不動明王図(十卷抄)
不動明王図(胎蔵図像)
不動明王図(胎蔵尊図様)
浮彫不動明王像(中国 遼時代)
仁王経五方諸尊図(中央)東寺蔵
高雄曼荼羅中不動明王図(醍醐寺本不動明王図像)
玄朝様不動明王図(醍醐寺本不動明王図像)
良秀様不動明王図 醍醐寺蔵
図心様不動明王図 醍醐寺蔵
降三世様不動明王図(別雅雑記)
智証大師請来様不動明王図 三井寺蔵
良秀様不動明王図(醍醐寺本不動明王図像)
無動三尊図 石山寺蔵
法輪院経蔵不動明王図 醍醐寺蔵
玄朝様不動明王図 石山寺蔵
御室戸附正本不動明王図(醍醐寺本不動明王図像)
図心様不動明王図(醍醐寺本不動明王図像)
走不動明王図 井上氏蔵
信海筆不動明王図 醍醐寺蔵
慈尊院本不動明王図(醍醐寺本不動明王図像)
智證大師筆五部心観図(都分図)三井寺職
十一面観音像
那智山発掘十一面観音像
十一面観音像 聖林寺蔵
仁和寺版胎蔵界曼荼羅図 四臂十一面観音図
密教様十一面観音図(覚禅抄)
心砥筆十一面観音図(別珍雑記)
准胝観音図(覚禅抄)
十一面観音像(印度カネリー石窟)
水月観音図 醍醐寺蔵
迦楼羅天使図 醍醐寺職
前唐院本三味耶形図像 醍醐寺蔵
塔扉八菩薩図 醍醐寺蔵
御所慶法房筆愛染明王像 醍醐寺職
信海筆金剛童子図 醍醐寺蔵