地中海の光がアトリエの窓から差し込み、銀の板に反射して、まるで生きているかのように明滅する。私はチェロ・サストレ。バルセロナの光と影、歴史とモダニズムが交錯するこの街で、銀という素材に魂を吹き込む仕事に、生涯を捧げてきた。私の手から生まれたこのネックレスは、単なる装飾品ではない。それは、私の哲学、私の生きた時代、そして私という人間を形成した芸術的記憶の結晶なのだ。
1944年、私はこのカタルーニャの都に生を受けた。旧市街の石畳に染み込んだ歴史の重みと、ガウディが残した有機的な建築の奔放さ。その両極の間で、私の美的感覚は育まれた。60年代から70年代にかけて、世界が旧来の価値観からの解放を叫ぶ中、バルセロナもまた、創造的なエネルギーに満ち溢れていた。私たちは、ジュエリーを単なる富の象徴としてではなく、アートとしての、自己表現の手段としての「新しいジュエリー(new jewel)」の可能性を信じて疑わなかった。素材の価値よりも、そこに込められたアイデアと創造性こそが、ジュエリーの真の価値であると。
私のキャリアの中で、忘れられない仕事がある。ファッションデザイナー、トニ・ミロ(アントニオ・ミロ)との長年にわたる協業だ。彼のミニマルで洗練されたデザインに、私の創り出す有機的で時に挑発的なフォルムのジュエリーが共鳴し、ランウェイで独特の世界観を築き上げた。80年代、私たちが発表した作品は、旧弊な慣習へのアンチテーゼであり、新しい時代の女性の生き方を祝福するマニフェストだった。1992年のバルセロナ・オリンピックでは、彼の衣装と共に私のアクセサリーが、世界中の視線を集める開会式の舞台を飾った。それは、バルセロナの創造性が世界に認められた、誇り高き瞬間だった。
しかし、私の創造の源流をさらに深くたどるなら、必ず一人の巨匠に行き着く。ジョアン・ミロ。彼の存在なくして、私の、いや、バルセロナの現代芸術は語れないだろう。彼の作品は、私にとって常に、地中海の空に浮かぶ太陽や月、星々のような、絶対的で根源的なインスピレーションの源であり続けた。ミロがキャンバスに描いたのは、具体的な形ではなく、夢や記憶、宇宙のリズムそのものだった。子供のような純粋さで、現実の奥に潜むシュールな真実を、彼は独自のシンボルで描き出した。
このネックレスを創るにあたり、私の脳裏にあったのは、ミロが愛した星々や鳥、そして名もなき有機的な生命体のイメージだ。銀の板を熱し、叩き、曲げながら、私はミロの絵画の世界を旅していた。彼の描く、不規則でありながら完璧なバランスを持つ線。計算され尽くした空間の配置。それらを、硬質な銀という素材で、いかにして詩的に表現するか。それは、素材との対話であり、私自身の内なる声に耳を澄ます、瞑想にも似た時間だった。
二つのパーツが、まるで惑星が引力に導かれるように、しかし決して固定されることなく、しなやかに繋がっている。これは、ミロの作品に見られる、浮遊するモチーフたちの関係性を表現している。一つ一つのフォルムは、女性の身体のようでもあり、未知の生物のようでもある。見る者の想像力の中で、その意味は無限に変化する。表面に施したマットな仕上げは、地中海の強い日差しを浴びて白化した石や、長い年月を経て浜辺に打ち上げられた流木のような、自然な風合いを出すためのものだ。ギラギラとした輝きではなく、内側から発光するような、静かで穏やかな光を、このジュエリーに与えたかった。
このS2286という記号は、私のアトリエで生まれた無数の作品たちの中の一つであるという、ささやかな印に過ぎない。しかし、この小さな銀の彫刻には、バルセロナの熱い創造の時代を生きた一人のジュエラーの情熱と、ジョアン・ミロという偉大な芸術家が空に放った、夢のかけらが宿っている。
これを手にする人は、単にネックレスを身に着けるのではない。カタルーニャの芸術の歴史そのものを、その精神を、肌で感じることになるだろう。静寂の中に響く音楽、ミニマルなフォルムに秘められた無限の物語。私の人生と哲学が、そしてあのバルセロナの空気が、この小さな銀の作品の中に息づいているのだから。