絶版希少本 図録・写真解説本 刀剣 佐藤寒山 編
昭和41年 発行
至文堂
監修 文化庁・東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館
佐藤寒山 編
134ページ
約22.5*18*1cm
カラー(口絵写真)モノクロ
※絶版
日本刀の上古から中世~近世の変遷と発達から、名刀の数々を写真と詳細解説にて紹介、
刀装と刀装具、鐔など小道具の鑑賞、刀剣の鑑定(真贋鑑定、古刀新刀鑑別一覧表など)、刀剣の取り扱い保存方法までを網羅したもの。
国宝・重要文化財・重要美術品などの刀剣、大刀、太刀、短刀、鐔、透かし鐔、大小拵、三所物など刀剣関連作品のカラー・モノクロ写真図版113図を収録。
著名刀工を中心とした刀名作品集兼基礎資料集。
名刀鑑賞の項では寸法、銘、所蔵先ほか詳細情報と見どころや刀工の解説。
巻末には刀剣用語解説、刀剣の真贋鑑定への考え方、
古刀新刀の鑑別一覧表、刀剣のできるまで、刀剣の取扱い方や手入れに至るまで、
刀剣のすべてを収載した大変貴重な資料・小ぶりながら本文テキストは二段組で、
情報満載・内容充実の研究書となる絶版図録本。
その分野における研究の第一人者による渾身の解説論考は、内容充実、初心者にもわかりやすく、かつ専門的内容まで踏み込んだ情報満載の研究書となるもの。
一般美術書の枠を超えて、数多くの書籍や論文に引用されてきた参考文献。
編者【佐藤寒山】(佐藤貫一)日本を代表する刀剣学者。(財)日本美術刀剣保存協会常務理事。刀剣博物館副館長。
日本刀研究の権威として知られる。特に新刀の研究で知られ、古刀の研究で知られる本間薫山と並んで、しばしば両山と呼ばれる。
【目次より】
前書き
日本刀の特色
日本刀の変遷と発達
1上古刀
大刀 横刀・横剣 剣および剣大刀 刀子
2湾刀時代
直刀から湾刀へ 平安期から鎌倉期の太刀 鎌倉中期 南北朝時代 室町時代 桃山・江戸時代
3現代刀
名刀鑑賞
1名刀とは
2名刀のかずかず
太刀銘安綱(名物童子切) 太刀銘備前国包平(名物大包平) 太刀銘光世(名物大典太) 太刀銘則宗 太刀銘国行 太刀銘吉光(名物平野藤四郎) 薙刀銘助光 短刀銘国光(名物会津新藤五) 短刀無銘正宗(名物庖丁正宗) 短刀銘左筑前住 刀銘備前国住長船与三左衛門尉祐定 刀銘九州日向住国広(号山姥切国広) 刀銘長曽祢興里入道乕徹(長曽祢興里入道虎徹) 刀銘為窪田清音君山浦環源清麿
刀装と刀装金具
1蕃刀
2古墳時代の刀装から大小拵まで
小道具の鑑賞
甲冑師 信家 金家 埋忠明寿 平田道仁 古正阿弥 肥後の各派 後藤家 横谷宗珉 奈良派 後藤一乗と加納夏雄
図版目録
図版解説
日本刀のできるまで
参考文献
索引
刀剣の鑑定
古刀と新刀の鑑別一覧表
刀剣の取扱い及び保存
第3図 塵地蝶鈿飾剣(東京国立博物館)
第4図 同部分
精巧な大刀金具に珠玉をちりばめた豪革な彩光は今ほ求むべくもないが、製作当時はおそらく眼もくらむばかりのものがあったであろう。
第11図 黒塗皮包太刀拵 号笹丸 愛宕神社
軽快で、しかも丈夫な太刀拵が皮包太刀である。これは足利尊氏の佩用と伝える笹丸拵で、金具に竹の文様が見られる。簡素ながら武将の心懐を知ることのできるものである。
第21図(左)猿猴捕月図鐔(右)春日野図鐔 銘金家
金家は絵風鐔の創始者であり、この両鐔はその面目をよく示している。しかも金家ほど金をはじめとする色がねを最少限度に使って、最高の効果を示しているものはない。まさに古今の名工である。
第22図 破扇文散鐔 銘又七
林又七の代表作で、彼の作には銘のあるものは極めて稀である。しかもよく給え上げられた地がね、大胆な文様、巧みな布目象嵌の技法など、追随を許さぬものがある。古来名物として名高い。
第23図 葡萄棚図鐔 銘埋忠明寿
埋忠明寿は、最もよくその時代相を示している。しかも種々の色がねを使用して平象嵌を施しているが、図案化された図柄は見事であり、わずか三寸に足らぬ小天地とは思われない大胆さがある。
【写真目録 より 一部紹介】
表紙 獅子牡丹文兵庫鎖太刀栫 重文 丹生都比売神社環頭大刀 東京国立博物館
塵地螺鈿飾剣 国宝 東京国立博物館
同(部分) 東京国立博物館
銀銅蛭巻太刀拵 国宝 丹生郡比売神社
同(部分)
金沃懸地群鳥文兵庫鎖太刀栫 国宝 東京国立博物館
鶴丸文兵庫鎖太刀栫 重文 熟田神宮
同(部分)同
黒塗合口拵 重文 永藤一
黒塗皮包太刀拵 号笹丸 重文 京都愛宕神社
牡丹造蝦夷拵 東京国立博物館
魚網文腰刀同
前田犬千代佩用大小拵 重美 尾山神社
同(部分)同
同(部分)同
朱塗金蛭巻太刀拵 重文 東京国立博物館
耒塗銀鈿藤花文大小拵 重美 宮崎寓次郎
金梨子地葵紋散合口拵
黒塗合口拵 重文 日光東照宮
金熨斗付合口拵 重文 大神山神社
環頭大刀頭金具 東京国立博物館
圭頭大刀頭金具 東京国立博物館
鍍金倒卵形大刀鐔 東京国立博物館
鉄地銀象嵌倒卵形大刀鐔 東京国立博物館
春日野図鐔 金家取文細川護立
猿猴捕月図鐔 金家 重文 古河従純
破扇文散鐔 又七 重文 細川護立
葡萄棚図鐔 明寿 重文 森栄一
矢弓七宝鐔 平田彦三 渡辺岡雄
七宝文鐔 平田道仁 東京国立博物館
赤銅地七宝文富嶽図小柄 渡辺岡雄
七宝富士目貫 平田道仁 同
花文七宝象嵌鐔 銘 平田彦四郎 東京国立博物館
六玉川図揃物廉乗藤井学
獅子牡丹文揃金具 宗珉 古河従純
金銀鈿荘大刀拵(摸造) 東京国立博物館
金平脱横刀拵(摸造) 東京国立博物館
蕨手横刀(摸造) 東京国立博物館
平造大刀・切刃造大刀・湾刀 東京国立博物館
切刃造大刀 東京国立博物館
三鈷柄剣 国宝 金剛寺
フツの御霊剣 国宝 鹿島神宮 (布都御魂剣 布都御霊剣 ふつのみたまのつるぎ フツノミタマノ剣)
太刀 伝天国 名物小烏丸 宮内庁
源頼朝像 国宝 神護寺
同(部分)同
平治合戦絵巻岡宝 東京国立博物館
桐菊文糸捲太刀拵
短刀 銘 粟田口久国 重文
刃文丁子(逆丁子)
刃文(逆丁子)
短刀 銘 吉光 名物信濃藤四郎 重文 酒井忠明
短刀 銘 国光 国宝 青山孝吉
短刀 銘 則重 号日本一 国宝 細川護立
短刀 名物庖丁正宗 国宝 細川護立
打刀拵(明智拵) 東京国立博物館
槍 日本号 黒田長礼
槍 銘正真 号蜻蛉切 矢部利雄
片鎌槍(加藤清正所用) 東京国立博物館
埋忠明寿 太刀 重美 相馬恵胤
大磨上無銘刀
刀 銘越中守正俊 重美 田口儀之助
刀 銘賀州住兼若 重美 田口義之助
刀 高橋貞次
刀 宮入昭平
太刀 銘 安綱 名物童子切 国宝 文化財保護委員会
太刀 包平 名物大包平 国宝 東博
太刀 銘 光世 名物大典太 国宝 前田育徳会
太刀 銘 則宗 国宝 日枝神社
太刀 銘 山城守藤原国清 伊勢寅彦
太刀 銘 国行 国宝 寺田小四郎
短刀 銘 吉光 名物平野藤四郎 宮内庁
薙刀 銘 紀助光 国宝 田口義之助
短刀名物庖丁正宗 国宝 岡野勝郎
短刀 銘 国光 名物会津新藤五 国宝 青山孝吉
短刀左 国宝 青山孝吉
刀 祐定 重文 岡野多郎松
刀 国広 号山姥切 重文 伊勢寅彦
刀 乕徹 重文 永藤一 (長曽祢興里入道乕徹 長曽祢興里入道虎徹)
刀 清麿 重美 江原正一郎
藤原鎌足像(摸本) 東京国立博物館
金地螺鈿毛抜形大刀拵 国宝 春日大社
同(柄前)同
同(鞘)同
藤原光能像 国宝 神護寺
兵庫鎖太刀 重文 猿投神社
太刀 銘行安 重文 猿投神社
黒漆太刀拵 号狐ヶ崎 国宝 吉川重喜
同(部分)同
黒色蝋塗大小拵
黒色蝋塗大小拵 東京国立博物館
変塗大小拵 松見達雄
塔鎌透鐔 無銘甲冑師 松本近太郎
南無八幡透鐔 無銘甲胄師
弓矢八幡鐔 銘信家(表裏)渡辺国雄
キリシタン透鐔 銘信家 東京国立博物館
三ッ巴紋透鐔 銘信家 東京国立博物館
車透鐔 銘法安 東京国立厚物館
達磨図鐔 銘城州伏見住金家 古河従純
帰樵図鐔 銘山城国伏見住金家 細川護立
野猪図鐔 銘安親 宮崎富次郎
蟻通図鐔 銘安親 宮崎富次郎
車透象嵌鐔 銘埋忠明寿 重美 古河従純
ニッ巴紋透象嵌鐔 無 銘古正阿弥 東京国立博物館
霞桜図鐔 金 銘又七 重美 細川護立
猛禽捕猿図鐔 甚五 東京国立博物館
鶏図鐔 無銘甚五 岸田勇作
四方蕨于透象峡鐔 金銘 楽寿 細川護立
伊勢二見浦図鐔 銘後藤法橋一乗(表裏)東京国立博物館
猛禽図大小鐔 銘石黒政美(小大)若山猛
風竹図鐔 銘夏雄(表裏)若山猛
白梅図鐔 銘夏雄(表裏) 東京国立博物館
枝桃文三所物(後藤宗乗作)同
藻貝文三所物(後藤乗真作)同
獅子三所物(後藤徳乗作)同
十二支文三所物(後藤光孝作)同
【まえがき より】
一般方術品の愛好家に限らず、美術研究家の間に、日本刀はどうもむずかしいとか、わからないとかいう言葉を多く耳にする。
これをよく考えて見ると、刀剣の愛好家にはとかくひとりよがりがあったり、間々精神面にのみとらわれて美術性を究明することを怠りがちになりやすいという欠点は別として、一方絵画にはさまざまの画題があり、墨絵や色彩画などと多様であり、誰某の作はこういうものだとか、彼某の画風はこうだなどということが、一般に記憶されやすい条件を備えている。したがって、記憶即理解というふうに誤認し、錯覚を起こしやすく、自己催眠におちいりやすいおそれがある。
その他、陶磁器でも漆芸品でも、いわゆる造形美術品は、絵画の場合と同様に、形や色彩、およびその用途の相違などによってこれまた特色があり、自然記憶しやすいために、同様の結末になるであろう。
しかも、日本刀は用途がまったく一つであって、一見同じような姿格好であるところから、たんに長いとか、短いとか、豪壮だとか優美だとかの区別はできても、それ以上のことは容易に区別ができないのみならず、それに加えるに、なにかこわいという観念が加わり、つとめて近寄らないようにしようとする心理がある。したがって、外見だけでは、それらのものを記憶するということは困難であり、結局はみな同じように思われがちであり、「わからない」という言葉になるわけである。
しかし、書画にしても、他の工芸品にしても、決してそう簡単にわかるものではなく、巧妙にできた贋物はたちまち本物と混同視されやすく、反対に一般とやや作風のちがっている本物の作が、かえって偽物として棄て去られてしまうようなことも当然ありえることで、ここに自己催眠の事実がある。
これは日本刀の研究のみではないが、正しい、物の鑑別力、すなわち鑑識というものは、一見回じようなものの中から、明確に相違点を発見することであり、真偽の問題はもとより、こまかに研究し、検討してそれぞれの製作年代とか、流派別とか、さらには刀工の一人一人の個性をつかむというふうになれば、厳然たる相違の現存することが明白となろう。
ただ、そこまで研究することは容易ならぬ努力が必要であり、大変なことには相違ないが、正しい勉強をすることによって経験を重ねてゆけば、むしろ他の美術や工芸品の場合よりもきわめて理解しやすいのが刀剣であると思う。
それには、参考書を読み、他の人々の話を聞くとともに、実物についてわずかずつでも理解を深めてゆくことである。
物の鑑賞や鑑定には一般に缶が大切であるといわれている。この言葉は一見、非科学的のように誤解されやすい憾みがあるが、感というのは、あらゆる経験の収積であり、科学的に研究し検討してきたものの大成であって、言いかえれば最も確かなものである。
ただし、その経験が適切なものでないものがふくまれているとすれば、もとより論外である。すなわち、ものの勉強とは、正しい経験を収積するということであり、素直さと熱意とが必要である。(後略)
【名刀鑑賞 より 一部紹介】
近来、「めいとう」と呼ばれるものに漢字をあてる場合、「名刀」「銘刀」「迷刀」などがある、銘刀=名刀に使用している場合が刀剣社会にはあるが、銘刀はあくまでも作者名のある刀の意味に考えたい。しかし、世間によく名前の通っているもの、世間によく知られている名前のものということから、自然ものが良いということにもなり、銘酒・銘茶・銘菓を初めとして銘木もあれば、すべてに銘柄のよしあしが口にされる。
こうした見解からすれば、銘刀=名刀でよいわけでもある。しかし、われわれが名刀と呼ぶのは、まず太刀や刀の姿がよく、肉置きがよく整い、地がねの鍛えも健全で美しく、刃文も健全でその上種々の働きかおり、品位に満ちたものでなければならない。そして一見して時代や系統の特色がよく示されており、個性のあるものである。茎も製作当時のままの生ぶ茎、有銘にこしたことはないが、たとえ銘はなくとも、銘のあるものとさして相違がない。ただ、磨り上げ無銘のものは、「名刀ではあるが」の下に「磨り上げが惜しい」という結果になるし、生ぶ無銘の太刀であれば、「これに銘さえあってくれれば」という言葉となり、いずれにしても、名刀たることに条件がつく結果となる。
しかし、条件のつかない名刀というものは天下広しといりても、そう簡単にあるものではなく、いわば天下の名刀は、昔から一般によく知れわたっていたと言いうるし、偶然の機会に、天下の名刀がヒョッコリと出てくるたとということは、まずありえない。
名刀は、したがって古来から名だたるものであり、日本人の歴史とともに数百年を生きてきたものであるとも言いうる。本質的な名刀としての条件に、歴史的な背景と伝れが加わって、さらにその刀の地歩と価値を高めることは当然であって、名刀と呼ばれるほどの大部分のものにはそれがある。(後略)
【名刀のかずかず より 一部紹介】
太刀 銘安綱 名物童子切 一口 国宝
文化財保護委員会保管(第62図)
長さ80センチ、反り2.7センチという鎬造りで、庵棟、腰反りが高く、元幅と先幅との差の大きい、いわゆる踏張りのある、小峰の上品な太刀姿は、平安末明の日本刀の代表的な姿である。これを見ればだれしも優美な平安文化を想像するであろうと思われるが、この太刀自らの発する雰囲気は、けっして殺伐なものではなく、いかにも上品でありながら、さすがに毅然としていて、弱さがない。
専門的に説明すれば、鍛えは小板目と袮せられる細かな肌目で、地沸がよくついて、それが映りのように見える。刃文は小乱れに足がよく入って、小沸が深く、キラリと光った金筋がところどころにあらわれている。そして日本刀の古い焼入れの一つの特徴でもある焼落しがある。
焼落しというのは、刃区の下から一ぱいに焼出しているものとは異なって、刃区の上から焼出しているもののことであり、古くは正倉院御物に見る刀剣に始まり、世間にその特色として知られているものに、鎌倉初期の以後の刀工行平がある。しかし焼落しは行平のみの特色ではなく、九州物の古作には一般に共通しており、その他、古備前鍛冶を初めとする鎌倉時代の備前物にも見られる。この焼入れの方法は、よく再刃の場合に用いられるので、焼落しがあるとただちに再刃であるなどと思うことは早計である。
(中略) 童子切の異名については、室町時代以来の呼び名であり、享保名物牒にも所載があるが、それによれば、昔、源頼光が、大江山で酒呑童子という通力自在の山賊をこの太刀で討ち取ったことから名付けられたものと伝えられている。大江山物語はもちろん、小説には相違ないが、これに近い事実があったであろうことは想像される。
この太刀は、足利将軍家から、織田信長に贈られ、ついで秀吉の蔵刀となり、徳川家康に移り、二代将軍秀忠から、越前宰相松平忠直に与えられたもので、越前家が取りつぶされたのちは、津山の松平家に伝来したものである。
この太刀には、金梨子地蒔絵、赤銅魚子地に桐紋散しの総金具のついた糸巻太刀拵えがあり、総体に肉のよくしまった桃山時代の製作である。
安綱同作の現存するものは、きわめて少ないが、その中での最高作であるばかりでなく、伝存する日本刀中での白眉として名刀の誉れが高い。
太刀 銘備前国包平作 名物大包平 一口 国宝
池田宣政氏蔵(第63図)
長さ89.2センチ、反り3.4センチ、元幅3.7センチ、先幅2.5センチという鎬造り、庵棟、身
幅広く、腰反り高く、踏張りのある堂々たる太刀であ
る。
この太刀の作者は、銘文にも明らかなように備前の包平の作で、包平は古備前派の刀工であり、この大作一口が現存するために彼の名は刀剣界に高い。
その作風をやや詳しく観察すれば、鍛えは小板目肌がよくつまり、乱れ映りが立ち、刃文は小乱に足がよく入り、匂深く小沸がよくついてわずかに金筋がまじり、帽子は乱れ込んでわずかに返り、二重刃のところがある。地刃はまったく当時打ち上げたまま(これを打ち卸しという)のような健全さで、しかもよく冴えて美しい。
この身幅があって、長さの長い太刀の重量を軽減するためであろう。表裏に幅の広い棒樋を巧みに彫り、最後は掻き流しているが、なんとも言えない味わいである。
茎は生ぶで、浅い筋違の鑢目を見せ、佩表(刃を下にむけて腰に下げた場合、外側に出る面、太刀面ともいう)に太鏨で備前国包平とこれまた力強く堂々とした銘がある。
古来、名刀中の名刀、日本刀の横綱といえば、東の大包平、西の童子切と称せられたものであるが、はたしてどちらが東か西かは、見る人の鑑識というよりも、主たるものが好き嫌いに起因するであろう。堂々として大きく花やかな存在という点からは大包平が優り、地味ながら古雅な点からは童子切におよばない。
包平は、同国の助平、高平と並んで古備前物として「備前の三平」と袮せられている。三平の作中、助平の作はわずかながら現存し、高平の作は未見である。おそらくその有銘作は現存しないのではあるまいかと思う、そして包平の有銘作は数本現存するが、多くは細身で小鋒がつまった、いかにも平安末期を思わせる太刀姿のものであり、作風も他の一般古備前物に差異はなく、銘は「包平」と二字銘にきっている。
ところが、この大包平だけは、前述したように中鋒が猪首となった身幅の広い堂々三尺におよぶ太刀であり、しかも健全無類、地刃の出来も優れて他の追随を許さぬばかりか、銘振りも他と異なって太鏨で大振り、長銘である。おそらく包平の一生一代の傑作であり、快心の作であることは異議がなく、さればこそ「大包平」の異名が存在するのである。(後略)
【小道具の鑑賞 より 一部紹介】
現今、一般に鑑賞の対象としている鐔や小道具は、主として室町時代以降の打刀に使用された金具類であり、なかでも、桃山・江戸時代のものが多い。
これは、それ以前の太刀金具の現存するものがきわめて少ないということと、さらには太刀金具は、時代により、物によってもちろん巧拙があり、精粗の別はあるが、いったいに形がきまっていて、打刀の鐔や小道具のような変化にとぼしいということにも原因があろう。
鐔は、元来は刀鍛冶が、自分の鍛えた刀に自作して添えたものとも伝えられ、事実そうと思われる遺品もあるが、必ずそうであったか否かは別としても、刀鍛冶自作はたんに実川的な目的を解決すれば足ることであったことはもちろんである。
したがってそれ以上の美術品としての目的などはあまり考えに入れなかったであろうし、加えるにそれほどまでの専門的技術をも備えていなかったことも当然であろう。
ここに専門の鐔工の出現の必要があったのである。しかもそのはじめは、甲胄師などの余技的協力にまつものがあったのであろう。
甲胄師 甲胄師は、鎧の小札(綴じ合わせる小さな鉄板)の精巧な鍛錬法をそのままに、鐔の製作に転川し、かつそれに小さなすかし模様をほどこして雅趣を添えそれが、やがては、鐔が一種の思想を持つようになった所以であって、のちには鐔工にもそれが受けつがれた。
たとえば、甲冑師作にほどこされた貝の図の小ずかしは、「かいあるもの」の意味であり、かいある働きを、そしてかいある人生をというささやかな願いであり、三光すかしと呼ばれる日月星の小透しには、わが働きを、日月も照覧あれという願いがこめられており、「南無阿弥陀仏」「八幡大菩雌」などの文字すかしには、それぞれに信仰がこめられていた(後略)
【図版解説 より 一部紹介】
獅子牡丹文兵庫鎖太刀拵 丹生郡比売神社
力強く甲金に躍る獅子の容彫は丸彫に近い感覚を与える。同種の金具が、石突にもあって、他の金具および板金には牡丹文が毛彫でほどこされている。柄の部分に補修はあるが、製作当時の豪華さがしのばれる同種中の優品の一口である。
平造大刀・切刃造大刀・鎬造太刀 東京国立博物館
平造大刀は考古学的に一番古い造り込みの大刀といわれている。ついで切刃造の大刀が出来、やがて平安中期以後となって、鎬造で反りのある太刀ができた。
切刃造大刀 東京国立博物館
水竜の剣と号されている。もと正倉院御物中の一ロであったが、明治天皇が、御手許にとどめおかれたものという。ただし東大寺献物帳には、これに該当するものが書かれていない。
三鈷柄剣 金剛寺
別に聖柄の剣ともいう。三鈷桙形の柄が付いており、鞘は黒塗である。仏法の儀器として使用したものであろう。剣は平安初期をくだらぬものであり、拵は鎌倉時代の制作である。
布都御霊剣 鹿島神宮 フツノミタマの剣
切刃造の長大な大刀。伝説では神代の剣といわれているが、平安初期の作と鑑せられるものであり、黒漆金平文の大刀拵えが付属している。文様は獅子文であるが平文はほとんど脱落している。
太刀 伝天国 名物小烏丸 宮内庁
平家重代の太刀として、名高く、いわゆる鋒両刃造であるが、正倉院御物などに見るものとは趣きを異にし、両刃の部分が長く、柄もとで大きく反りがある。対島の藩主宗家から明治天皇に献上したものである。
短刀 銘国光 会津新藤五
吉光は鎌倉中期の粟田口派の名工で、ことに短刀の名手として名高い。この短刀は享保名物牒にある信濃藤四郎である。藤四郎は吉光の通称である。国光は、新藤五と称し、粟田口派の流れを汲み、相州伝の創始噺として名高く、その門に行光・則重・正宗などがあり、これまた短刀の名手である。享師名物牒に会津新藤五とあり、会津の藩主蒲生氏郷の愛刀であったからの号である。
短刀 無銘正宗 細川護立
正宗は新藤五国光に学んで、いわゆる相州伝の大成者である。鎌倉の末になると、この短刀に見るような、身幅が広く、それに比して寸法の短い特殊の形のものが流行した。亨保名物牒に載っている庖丁正宗がこれである。
大身槍 無銘 号日本号 黒田長礼
室町中期以後になってとくに槍の流行をみるが、大身槍はことにこの時代に多い。日本号は、日本一という名槍を誇った名称であろうが、二尺余の平三角造りで裏の樋中に見事な倶利迦羅の彫物がある。大和金房一派の作であろうか。
片鎌槍 無銘 東京国立博物館
室町中期以後になると、種々の形の槍が多く流行する。鎌槍もその一つで、左右に半月形の枝がついている。その中で、左右の枝が均一でなく、一方が小さいものを片鐵搶という。鐵槍は素槍にくらべて枝があるだけに、突くにも、ひくにも確率が高いわけである。これは加藤清正所持の一槍である。
埋忠明寿と大磨上 無銘 伝志津の刀 明寿 相馬恵胤
南北朝期のが刀を磨上げて打刀に直した姿、慶長三年の年紀のある明寿の刀とを比較して見ると、姿がよく似ていることがわかる。
高橋貞次・宮入昭平
日本刀の鍛錬の技術保持者として重要無形文化財に指定されている。貞次は伊予国松山の人で、月山貞勝に学んで面前伝を得意とし、刀身彫刻にも優れた技倆を示し、宮入昭平は信州坂城の人で、日木刀鍛錬所に学び、志津の伝を得意としている。ともに現代刀工中の白眉である。
金地螺鈿毛抜形太刀栫 春日神社
毛抜形太刀拵のうち、その製作の最も優れたものである。おしいことに、刀身が深く錆ついて抜けない。柄の部分も金銀で鍍金をほどこしてその製作がすぐれているが、鞘は竹林に猫が雀を追っている図柄が見事であり、竹林中の猫の姿態にも、また追われる雀にも動きがある。
南無八幡透鐔 無銘甲胄師
塔鎌透鐔 無銘甲胄師 松本近太郎
南北朝時代から室町時代にかけて、甲冑師が余技的に薙刀や打刀の鐔を製作していたと推察される。それは丸形のよく鍛えられた板鐔に小透をほどこしたものであり、鎧の小札の鍛によく似ているからである。これを甲胄師鐔といい一般に愛好されている。これらの中には、信仰や思想をあらわしているものもある。在銘作はまったくない。
三ツ巴紋透鐔 銘信家 東京国立博物館
キリシタン透鐔 銘信家 東京国立博物館
弓矢八幡透 銘信家 渡辺国雄
信家は尾張の鐔工である。鐔ははじめは刀工自身の作になるものであったが、室町の末頃になって、足せず、専門の鐔工があらわれた。尾張はその発祥の地の一つと考えられ、一方には尾張透鐔と称せられる透彫を得意としたものがある。これらの鐔には銘のあるものがまったくないが、他に板鐔を主として小透をほどこしたものがあり、それには、信家・法安・山吉兵(山坂吉兵衛の略)などの銘がある。信家は一人ではなく、同名が尾張にも何人かおり、他の諸国にもいる。古来、甲胄師の明珍家十七代に信家がおり、甲州武田家の抱え工として活躍したが、これと鐔工の信家とを混同した傾きがあるが誤りである。三ツ巴紋透は信家作中では時代が古く、透彫の技法を見せ、キリシタン透、弓矢八幡鐔は同名の中でもやや時代が下がるであろう。時代の風尚を示している点が注目すべきであろう。
ニツ巴紋透象鱆 古正阿弥 東京国立博物館
室町時代の末に山城の正阿弥派があり、鉄地をもっとも得意として、小透に布目象嵌をほどこしている。この鐔もその一枚で、よく鍛えられた地がねがよく象嵌も見ごとである。
伊勢・二見ケ浦図鐔 法橋一乗 東京国立博物館
後藤一乗の作であり、流石に図柄もよく、技術も優れている。
風竹図鐔 銘夏雄
加納夏雄は刀剣金工の最後を飾る名工である。彼は写生に徹し、とかくマンネリ化した金工界に大きな新風を送っている。夏雄の最も得意とするところは、鉄地に高彫をほどこし。象嵌色絵を加えることであるが、それがきわめてわずかの色がねを用いて、百パーセントの効果をあげている点にある。布目象嵌はない。
【刀剣の鑑定 より 一部紹介】
古来日本刀は「武士の魂」などと呼ばれ、最も神聖なものとして取り扱われ考えられてきた。ところが、日本刀にもたくさんのにせ物がまじっている。
しかし、このにせ物が今日考えるように必ずしも罪悪と結びつくものばかりではなかったことも考慮に入れなければなるまい。すなわち、封建時代においては、家格とか習慣とかいうものが、想像以上に大きくのしかかっていたがために、にせ物がある意味においては、必要品でもあったことを見のがしてはならない。
たとえば、公卿の家柄でも五摂家には必ず三条宗近の作がなければならぬ御道具であった。しかし、宗近の正真の作がそんなに世にあるわけがなく、したがって容易に入手することができるわけもない。また、たとえ宗近の正真作があったにしても、非常な高額のものであったろうことは想像できるし、それを購入することは大変なわけである。
しかも結論は公家は武家と異なって実際に使用するわけでもなく、いわば飾りである。それは室町時代までの公卿の佩用する太刀は、いわゆる飾剣であって、中身は単なる延べ棒であったことによっても理解し得ると思う。それが、桃山・江戸時代には、武家同様に、衛府太刀の中身も本当の太刀を使用するようになったもののようである。
それでなくとも、家伝の太刀に看板として宗近が必要であったようで、自然適当に、宗近と銘を入れたり、三条宗近と銘のある太刀が必要品として作り出されたわけである。(後略)
ほか