
60's US オールディーズ
リッキー・ネルソン
Ricky Nelson (\350 7inch)/ トラブリン・マン Travelin' Man /ハロー!メリー・ルウ Hello Mary Lou
Imperial IMP-1065
1960年作品
1961年リリース
レコードの盤面の盤質は、コスレが、あり、チリプチが、入ります。
解説、歌詞、対訳が、あります。
ジャケット、ライナーに コスレと ヨゴレが、あります。
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リッキー・ネルソン (
Ricky Nelson,
1940年5月8日 -
1985年12月31日)は、
アメリカのミュージシャン、
俳優。
リック・ネルソン(Rick Nelson)とも呼ばれる。本名は
エリック・ヒリアード・ネルソン(Eric Hilliard Nelson)。
まだ10歳にも満たなかった1949年より、ネルソンは両親および兄とともにラジオ番組「The Adventures of Ozzie and Harriet」に出演し、同番組は1952年から1966年までテレビで放映された
[1]。また、個人としてはオムニバス映画『
三つの恋の物語』(1953年公開)に出演している
[2]。
さらに、ネルソンは
ロックンロール歌手としても活動。1957年4月に初のシングルを発表すると、収録されていた2曲(「ア・ティーンエイジ・ロマンス」と、
ファッツ・ドミノのカヴァー「アイム・ウォーキン」)が両方とも全米トップ5入りを果たした
[3]。1958年には「プア・リトル・フール」が全米1位を獲得
[4]。
1961年発表の6作目のアルバム『Rick Is 21』以降、ネルソンは「リック・ネルソン」名義で音楽活動をするようになった
[3]。同アルバムからは、シングル「
トラベリン・マン」が全米1位を獲得したのみならず、B面の「
ハロー・メリー・ルー」も全米トップ10入りを果たした
[7]。1962年は「ヤング・ワールド」と「ティーンエイジ・アイドル」がヒット。1964年には「フォー・ユー」が全米6位に達するが、その後の1960年代後半は、シングル・ヒットに恵まれなくなる
[4]。
1960年代後半になると
カントリーに傾倒し、その後、ストーン・キャニオン・バンドという
カントリーロック・バンドを結成。ストーン・キャニオン・バンドを従えて行われた1969年12月13日の公演(1970年発売のライヴ・アルバム『リック・ネルソン・イン・コンサート』に収録)には、後に
イーグルスで活動する
ランディ・マイズナーがバンドの一員として参加した
[8]。1970年には
ウィリー・ネルソンの楽曲を取り上げたアルバム『Rick Sings Nelson』を発表。1971年のアルバム『Rudy the Fifth』には、再びマイズナーが参加した。1972年にはアルバム『
Garden Party』からのシングル「
思い出のガーデン・パーティー」が、全米6位のヒットを記録して、ネルソンの生涯における最後の全米トップ10シングルとなった
[4]。
1981年、
キャピトル・レコード移籍第1弾アルバム『Playing to Win』発表。純粋な意味での新作スタジオ・アルバムは、これが最後となった
[11]。1985年から
ファッツ・ドミノと共にライブを開始、アメリカ各地を回る。そして12月31日、ネルソンが所有する飛行機
DC-3で
アラバマ州ガンターズヴィルから
テキサス州ダラスへ向かうが、飛行機が飛行中に火災発生、テキサス州
デカルブ郊外で不時着を試みたが林の木に衝突し、ネルソンは45歳で死去(
en:Death of Ricky Nelsonを参照)。さらに、この事故によってネルソンの当時の婚約者、バンドのメンバー4人、バンドのロード・マネージャーも死去した
[1]。助かったのは2名のパイロットだけだった。事故原因はヒーターの不具合だったと考えられている(事故機は中古であり、ネルソンたちはたびたび不調に悩まされていた)。
1982年にカントリー歌手のジャック・ウォードがカバーしている。
「ハロー・メリー・ルー」(Hello Mary Lou)は、1957年に発表されたアメリカ合衆国の楽曲「メリー、メリー・ルー」(Merry, Merry Lou)をもとにした歌曲。1961年のリッキー・ネルソンによるバージョンが、代表的な歌唱として広く知られている。
メリー、メリー・ルー
後に、
リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」(後述)が広く知られるようになると、「メリー、メリー・ルー」との類似が指摘され、程なくして、マンジアシーナの名は「ハロー・メリー・ルー」の共作者としてクレジットされるようになり、著作権使用料も支払われるようになった
[1]。
ハロー・メリー・ルー
ネルソンのバージョンは、チャートの首位に立つヒットとなった「
トラベリン・マン」(Imperial 5741) のB面に収められ、
1961年5月28日付『
ビルボード』誌のチャートで9位まで上昇した。
イギリスでは。この曲はA面としてリリースされ(B面は
ドーシー・バーネット(英語版)の「It's Late」)、2位まで上昇した。ヨーロッパにおいても、多くの国でヒット曲となり、特に
ノルウェーでは、14週間にわたってチャートの首位に居座った。こうした経緯から、ネルソンはこの曲の代表的な歌手となっている。
ネルソンのバージョンがヒットした後に、「メリー、メリー・ルー」との類似性が指摘され、以降この曲は、ピットニーとマンジャラシーナの共作として扱われるようになった
[1][5]。
ネルソンのバージョンには、後進に大きな影響を与えた
ジェームズ・バートンのギター・ソロが盛り込まれており、
ブライアン・メイなど、後のギタリストたちによってしばしば引用されている。ピアノは、
1959年11月に、それまでネルソンの常連セッション・ピアニストだったジーン・ガーフ (Gene Garf) の後任となったレイ・ジョンソン (Ray Johnson)
[6]、さらに、ベースはジョー・オズボーン (Joe Osborne)、ドラムはリッチー・フロスト (Ritchie Frost) であった
[7]。
カバー
日本語によるカバー
Recorded by IMPERIAL, Hollywood
| A | | Travelin' Man | 2:19 |
| B | | Hello Mary Lou | 2:15 |