~サイズ~
作品の寸法~ 幅 33,3 ㎝ 長さ 128 ㎝
掛軸の寸法~ 幅 46 ㎝ 長さ 190 ㎝
~軸幅 (軸端から軸端 51 ㎝)
共箱、 初表具、絹表具はきれいです、
…中の紙面にシミあります…軸端あります
~作者説明~
福井県で生まれ、
京都を活動の場とし、京都で没した。書壇から距離をおいた書作人生を送り、孤高の書家として知られた
[1]。
来歴
1883年10月1日、福井県に生まれる。
1899年、尋常科準教員の講習を受け検定に合格、1900年に福井県武生小学校教員となる。校長から教案の字が下手だから習字を習うように勧められ、村田海石の手本を独習した。
1902年、
中等学校習字科教員検定(
文検)ならびに尋常科正教員検定に合格した。1903年、福井県白崎小学校校長となる。1904年、
京都府師範学校から習字科教諭に招かれ、以後京都に住むことになった
[2]。1912年、結婚。
京都に来て10年間は書道の教員をしながらも書道に専心する気はなく、
高文を受けるための勉強をしたり、中途半端な日々を送っていた。1914年、知り合いの
京都帝大生の勧めで面会した裁判所判事横山孝太郎の夫人に「あれこれ迷わずに書一筋にやったらどうです。大阪の某書家は月収800円(師範学校の校長の月給は80円の時代)もあるそうですよ。」といわれたのがきっかけで書道に専念することを決意した。そして、京大の
藤井乙男(国文学者)から
吉沢義則(国文学者、歌人、書家)を紹介され、その示唆を受けて
本阿弥切や
寸松庵色紙などの
古筆の複製印刷本を独習するようになった
[2]。
1915年、
内藤湖南より側筆論を聴き、直側筆論の疑問の発端となる。1919年、東京でおこなわれた
龍村平蔵の織物展覧会の解説を書き、その解説の書が古筆研究の第一人者であった
田中親美の目にとまり激賞された。田中親美はその才能を見抜き越南の古筆研究に多大な便宜をはかった。当時の古筆蒐集家であった
東京/
横浜の
原富太郎(三渓)、
団琢磨、
高橋箒庵、吉田丹左衛門、
名古屋の関戸守彦、森川勘一郎などの諸富豪を紹介された。その最初に見たのが原家所蔵の
高野切第一種で、晩年、「こんな立派な字が人間技かなぁと感激した」と述懐している
[2]。越南の古筆研究は、容易に写真を撮れない時代にあって、月数回東京に出向き諸富豪所蔵の名品をその場でじっくりと鑑賞して心に納め、家に帰ってその調子を思い出してそれを模倣した書写を試みるといった方法で行われた
[3]。田中親美は当時の越南の古筆研究について「全生命をかけるぐらいの熱心さであった」と記している
[4]。
1922年、
山本行範、
出雲路敬通を知る。1926年、日本女子習字帖(吉澤義則撰文)を揮毫。1932年、平安書道会に入会し理事に就任。
1945年、京都府師範学校を退職する。1947年、水明書道会が設立され会長になる。1949年、
毎日書道展特別会員になる。1950年、
金子亭を知る。
1955年、
東本願寺遠忌大標札を揮毫。1956年、席書第1回展を
建仁寺で催す。以後、1979年まで2-3年毎に開催される。
1957年、第1回朝日現代書道20人展に出品(1958年まで)。1959年、
日展に特別招待出品。
1979年、京都市文化功労者として表彰される。1980年8月31日没。
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